第183話 親善駅伝
秋の町。
「第12回 蟻様・人間 親善駅伝大会」が盛大に行われていた。
コース脇には赤や黄ののぼり旗が並び、地元の子どもたちが「がんばれー!」と声を張り上げている。
だがその声援の熱は、明らかに人間チームには向けられていなかった。
「……絶対、蟻様より先にゴールしちゃいけないからな」
スタート前、町役場の職員が人間チームの選手たちに念を押す。
若い市職員である松田も、その一人だった。
「はい……分かってます」
(そりゃそうだ。あの蟻様に恥をかかせたら、どんな目にあうかわかったもんじゃない)
スタートのピストルが鳴る。
松田は懸命に走った。だが蟻チームはその何百匹もの小さな身体で、地面に隊列を作り、ゆっくりゆっくり進んでいく。
(……これ、普通に走れば俺たち圧勝じゃねえか)
途中、係員が駆け寄って来て小声で指示が飛ぶ。
『もう少しペースを落としてください!蟻様との差が開きすぎています!』
松田はため息をつきながらスピードを緩め、沿道の子どもに手を振るフリなどしてごまかした。
ところが、それでも差が開きすぎた。
松田は意を決して、ふらりとわざと足を絡ませて転ぶ。
派手に転倒して砂埃を上げると、膝を押さえて苦悶の表情を作る。
(……これで、追いついてくれるだろ)
しばらく痛くて立ち上がれないフリをして、芝生の上で寝転んで待つ。
だが──
(遅いな……まだか……)
雲が流れていく。鳥が鳴いている。
いつの間にか、松田は待ちながらうとうとしてしまっていた。
──はっと目を覚ますと、辺りはすっかり薄暗くて静かだった。
「……あれ?」
見ると、係員たちがのぼり旗を外し、テントを畳んでいる。
「ちょ、ちょっと!駅伝は!?」
係員の一人が面倒そうに首を傾げた。
「ああ……もう終わりましたよ。蟻様が途中でどっか行っちゃってね。そのまま自然終了です」
「……えっ?待ってたのに…」
「しょうがないでしょ。あの方々のご都合だから。」
松田はその場に膝をついた。
誰も気にしていない。
彼が寝ている間に、大会は終わり、表彰式もなしにあっけなく幕を閉じていた。
芝生には、まだところどころ黒い小さな列が残っていたが、それはもう駅伝のコースでも何でもなく、ただ気ままに好きな方向へ進んでいくだけだった。
松田は小さく頭を垂れた。
(……くだらねえ。けど……逆らえるはずがない)
遠くで係員がゴミ袋を提げて笑い合っていた。
まるで最初から何もなかったみたいに。
人間の親善は、ただ蟻の気まぐれに振り回されるためのものに過ぎなかった。