第182話 スピード違反
──郊外のバイパス。
パトカーが道路脇に停まり、交通課の警察官たちがスピードガンを構えていた。
「来たぞ──」
ビーーッ
表示は「78km/h」。制限60の道で、明確な速度超過。
「そこの軽自動車、止まってください!」
慌ててブレーキを踏む小型車。 若い運転手は窓を下ろし、青ざめた顔を見せた。
「す、すみません……急いでて……」
「18キロオーバーですね。罰金3万円になります。こちらにサインを。」
運転手は半泣きでボールペンを握り、震える手でサインを始めた。
そのとき──
道路を横切る黒い列。数百匹はくだらない蟻の大行列が、すうっとアスファルトを渡っていく。
警官は慌てて胸に手を当て、帽子を取り直し深々と敬礼した。
「ご通行ありがとうございます、蟻様……!」
もう一人の警官も同様に直立不動。 若い運転手はペンを持ったまま固まり、思わず同じように頭を下げた。
蟻たちは何事もなかったように一直線に歩き去り、やがて歩道の植え込みへ消えていった。
「……はい、こちら処理終わりましたので罰金の振込を忘れずに。」
「は、はい……」
軽自動車はよろよろと発進し、その場を離れた。
少しして。
次にやってきたのは大型のトラックだった。 ビーーッ 表示は「82km/h」。完全にアウトだ。
「そこのトラック、止まってください!」
大型の車体がガタリと停まり、窓が開く。 運転席には汗だくの中年の運転手。
「ちょっと急いでまして……今日中に届けないと……」
「速度超過22キロ。罰金4万円です。」
警官はペンを取り出し、違反切符に書き込もうとした──そのとき。
運転手の肩口から、黒い小さな影がひょこっと顔を出した。
「……あっ」
蟻だった。 運転手の肩をすたすたと歩き、警官の方を見上げる。
警官は一瞬顔色を変えたあと、すぐに直立し帽子を取り直し、敬礼した。
「……失礼いたしました。こちらは……処理の必要、ございません。」
運転手はぽかんとした顔をしたが、警官はすぐに丁寧に頭を下げた。
「蟻様がお乗りでしたか。道中、どうぞご安全に。」
「……え? あ、ああ……はい……」
トラックはゆっくりと走り出し、やがてバイパスのカーブに消えていった。
残された警官は切符をそっと破り捨てる。
「……蟻様がいらっしゃるなら、違反など問題にもならん。」
もう一人の警官も苦笑して言った。
「俺たちの法律より、あの方々のご機嫌のほうが大事だからな……」
遠ざかるトラックの後ろ姿。 そこでは小さな蟻が荷台の縁に並び、隊列を作ってこちらを見ていた。
その光景に、警官たちは再び無言で帽子を取った。 ちっぽけな命令権など、彼らの前では無意味だった。
以降、そのトラック運転手は常に蟻を同行するようになった。