第181話 万引き
─商店街の小さな総菜屋。
昼下がり、店頭には唐揚げや春巻きが並び、その奥には蜜がつやめく大学芋が積まれていた。
透明パックの中で照り返す黄金色は、人々の足を自然と止めさせる。
だが──
その棚の一角で、誰も近寄ろうとしない場所があった。
パックの蓋が少し開き、そこから無数の蟻が黒い列を成して入り込み、蜜の染みた芋を黙々と切り取り、せっせと運び出している。
「ちょ、ちょっと!誰か!あれ……!」
若い店員の女性が思わず叫んだ。
店内にいた他の客が振り返り、息を呑む。
「……あれ、完全に万引きじゃないの?」
「蟻が……?こんなふうに堂々と……」
ざわつく声。
別の常連客の中年男が冗談のように言う。
「おいおい、店員さん、捕まえなくていいのか?泥棒だぞ、泥棒!」
女性は血の気が引いた顔で、小さく首を横に振る。
「……無理です。蟻様に手を出したら……」
(店の商売にも影響が出るかもしれない。町内会だって黙っちゃいないわ)
恐る恐る受話器を取り、警察に電話をかける。
「……あ、あの……すみません、うちの店の商品が……蟻に……勝手に持ち出されて……はい……」
しかし受話器の向こうは淡々としていた。
『蟻様の件でしたら、当署では取り扱えません。問題があれば自治会へご相談してください。』
「でも……万引きなんです、間違いなく……!」
『それは店側の管理の問題ですので。……すみませんが、失礼します。』
ツー……ツー……
店内はしんと静まり返った。
女性が恐る恐る視線をパックへ戻すと、蟻たちは当たり前のように芋を奪っていく。
「……あいつら、ほんとに好き勝手しやがるな……」
客が小さく吐き捨てたが、誰も声を荒げることはなかった。
やがて蟻の一匹が芋の大きな塊を引きずり出すと、その後ろに長い黒い列ができて、それが街角へと消えていった。
女性はため息をつきながら頭を下げる。
(……どうか、今回で勘弁してください)
商店街の喧騒の中、蟻だけが堂々と行進していく。
人間たちはそれを盗みだと分かっていながら、ただ黙って見送るしかなかった。