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第18話 実験室の神々

地方国立大学の一角。老朽化した生物学棟の地下室で、人類社会から隔絶された小さな蟻の巣が生きて管理されていた。


学室の中には無数のアクリルケースが並ぶ。

ガラス越しの人工巣は、極めて精密に保たれている。


整然と並ぶそれぞれのケースの中に、異なるコロニーの蟻たちが暮らしている。温度、湿度、光量。全てが精密に制御され、人間の手で守られていた。


温湿度は24℃ / 60%で安定。餌も定期的に与えられ、外敵の侵入もない。

まさに完璧な保護環境だった。


この実験用コロニーは、数年前の国策研究で生まれた「認知拡張型フェロモン観察モデル」のために維持されていた。

外部との接触は遮断され、情報更新もない。彼らは知らないのだ――

外の世界で今、何が起きているのかを。




ある日、新しく配属された研究員、朝倉紗世あさくら さよが地下室にやってきた。

無数に並ぶコロニーを見て驚く。

彼女は穏やかな表情で、一つの人工巣の前にしゃがみこんだ。


「……なんて、ひどい。閉じ込められて……」


静かに手をかざすと、蟻たちが反応する。

個体が一斉に顔を向け、触角を小刻みに動かす。まるで“言葉”のように。


彼女の瞳には、どこか熱いものが宿っていた。

それは、順化者に特有の“感情の均質化”とは異なる、ねじれた慈悲だった。

紗世の鼻から代表蟻一匹が出てきて対話を試みる。


「安心して……私達が解放してあげるから。ね? ここを出て……本当の自然に戻りましょう!」


蟻たちは、一拍遅れてフェロモンを拡散した。

それは警戒でも混乱でもなかった。“戸惑い”だった。


──《観測者:不安定? 指示逸脱?》


──《異常命令? 確認要請:神経網経由》


代表蟻は、ガラス越しに対話する。

「もう人間達に無理に使われなくていいのよ。人間のためじゃなくて、あなたたちのために生きて……」


その瞬間、人工巣の奥から、最古参の女王アリが現れた。

ひときわ大きく、白く、威厳をもった存在。


すると、巣内が一斉に沈黙した。


──《女王判断:優先。対象言語:拒否。価値観:齟齬。信仰継続。》


──《我らは守られてきた。与えられた。選ばれた。》


──《ゆえに、神は絶対。外界は“試練”である。》


「……え?」


代表蟻は戸惑った。


「あなたたち……閉じ込められてるのに……なぜ感謝してるの?実験用として隔離されているのよ!」


再び、フェロモンが発せられる。


──《理解不能:“閉じ込められる”とは?》


──《これは“巣”。神により築かれた楽園。》


──《解放とは、何か?》


女王が静かに移動する。

そのたびに、数百の働き蟻が道を開き、頭を垂れる。


代表蟻はその光景に、軽く震えた。

(だめだ……完全に信じきってる。外の世界を知らずに長い間隔離されたから。これが、“世界”なんだ)


そのとき、研究室の扉が開いた。

「おい、朝倉。時間だ。巣の観測は終了だぞ」


別の研究員が顔を出す。代表蟻はすぐさま紗世の鼻の中に急いで戻り、名残惜しげに巣を見た。


「……せめて、あなたたちに……ほんとの世界を見せたかった」


だが、女王が最後に発したフェロモンは、明確な拒絶だった。


──《それは、“神への反逆”である。》


紗世は理解した。

彼女の善意は、信仰の巣ではむしろ“背教”だった。



外の世界では、蟻を殺せば重刑だった。

だが、ここでは蟻にとって人間こそが“創造神”だった。



順化とは別の“崇拝”。

それは同じ檻の中にある、もうひとつの牢獄であった。


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