第179話 蟻の自治会活動
──日曜の午前。
住宅街の一角では、町内会の面々が揃ってスコップや小さなシャベルを手に、道路脇にしゃがみ込んでいた。
「こっちはもうちょっと幅広げて!蟻様がお通りにくいってクレームがあったから!」
自治会長の初老の男が、赤い顔をして声を張り上げる。
その足元には、細く浅い溝が何本も続いている。ちょうど人間の靴底が引っかからない程度の深さ。
それが蟻のための専用道路──巣道だった。
若い父親は黙々と土を掘り返している。
汗がシャツににじみ、顔は真っ赤だ。
「パパ、まだ終わらないの?」
近くで水筒を抱えた小さな娘が、不満そうに見上げる。
父親は苦笑し、土のついた手で頭を撫でた。
「もうちょっとな。ほら、お前も将来やるんだぞ。これは大事なお仕事だからな」
娘はうんとうなずき、視線をアスファルトに落とす。
そこには、先に完成した細い溝を行列になって蟻が行き交っていた。
ときおり触角を動かしては、新しい巣道の具合を確かめているようだった。
自治会長がまた大声で言った。
「蟻様が快適に暮らせる街は、我々にとっても誇りです! しっかり頼みますよー!」
「「はい!」」
住民たちは一斉に声を上げ、また掘り始めた。
その顔は、どこか誇らしげですらある。
息子を連れてきた隣の家の奥さんが、小声で言った。
「学校でも『蟻様の道を作るのは人間の役割』って教わるんですよね。うちの子、作文に書いてました」
「はは、うちもですよ。『ぼくはおおきくなったら、もっといっぱい道をつくりたいです』って」
二人は目を細め、けれどそれは笑顔なのか引きつった表情なのか、わからなかった。
気づけば溝の中を、蟻たちが整然と歩いていた。
その黒い行列は、どこまでも続いていくように見えた。
ちょうどそのとき、役場の人間が自治会長のもとへ駆け寄ってきた。
「会長、あの──すみません、実はこの辺の排水管に不具合が出てまして、人間の家庭で断水が起きてるんです。至急どうにか…」
自治会長は土で汚れた顔をしかめ、スコップを地面に突き刺した。
「そんなのは後回しだ。今は蟻様の道が先だろ?」
役場の職員は黙って頭を下げた。
──そう、これがこの町の普通の日曜日だった。