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第178話 蟻とのペア旅行

──それは、市役所から届いた一通の封筒から始まった。


「おめでとうございます! 蟻様とのペア旅行が当選されました!」


白い紙には金文字でそう書かれていた。

抽選らしいが、断る選択肢はどこにもない。


「……なあ、これ、本当に行かなきゃダメなのか?」


啓太は妻の沙織に尋ねた。

沙織は小さく唇を噛み、視線を彷徨わせたまま、黙って首を縦に振った。


(……やっぱりダメなんだな)


数日後、二人は郊外の山奥へ連れて行かれた。

ツアーバスには、同じように青ざめた顔の当選者たちが何組も乗っている。


窓の外には、途中から人影すらなくなり、代わりに無数の蟻の列が地面を縦横に走っていた。


バスを降りた先に待っていたのは、巨大な蟻塚。


「さあ、こちらが今回のペア旅行の目玉、蟻様の巣です!」


ガイドはやたら明るい声で言った。

その足元を、数百匹の蟻が整列し、じっと人間たちを観察していた。


受付を済ませると、係員が二人の前に小さな木箱を持ってきた。


「こちらが今回のペアとなる蟻様です。旅行中はこの子と常に一緒に行動してくださいね」


木箱を開けると、黒光りする巨大な蟻が一匹。

胴は異様に膨れ、顎がゆっくり動きながら微かな音を立てていた。


白手袋の係員がそっと取り出し、啓太の肩へ置く。

蟻は触角をくるくる動かし、啓太の首筋をまさぐった。


「うっ……!」


背筋がぞわりと震える。

沙織の腕にも別の蟻が乗せられ、胸元でそっと脚を伸ばした。


沙織の顔色は真っ青で、指先は小さく震えていた。


「さあ、記念に一枚撮りましょう!」


係員に言われ、二人は渋々笑顔を作った。

肩や胸に蟻を乗せたままピースサインを作らされる。


カメラが何度もシャッターを切るたび、啓太の耳元で蟻の顎がかちり、かちりと音を立てていた。


「はい、いいお写真が撮れました。後日、市の広報に掲載しますね!」


(……勘弁してくれよ……)


巣の中は暗く湿り、どこからともなく腐葉土と、微かに甘いような匂いが漂っていた。


途中で立ち寄った蟻専用レストランでは、「巣特製ミルク」を蟻に飲ませる。

啓太がスプーンで差し出すと、肩の蟻は顎をぐいと寄せて吸った。


その様子を係員はカメラで撮りながら、満面の笑みで言った。


「とても微笑ましいですね!」


(……どこがだよ……)


沙織は終始うつむき、ただ蟻が服の中に潜り込んでも、必死に悲鳴を堪えていた。


帰りのバス。

同乗者たちは全員ぐったりと蟻をどこかに乗せたまま、ひどく疲れ切った顔で目を閉じていた。


だが市へ戻ると、広報スタッフが待ち構えていた。


「今回の蟻様ペア旅行、いかがでしたか?」


マイクが向けられる。

啓太は一瞬言葉を詰まらせたが、沙織がそっと袖を引いた。

その指は冷たく、細かく震えていた。


「あ……はい、とても楽しかったです。貴重な体験になりました……」


カメラは満足そうにうなずき、肩の蟻が顎を小さく動かした。


その脇では、蟻の群れがバスのタイヤを這い回り、何かを「確認」するように整然と列をなしていた。


夜、布団の中。


啓太は息を吐きながら天井を見つめた。

隣で沙織は背を向けたまま、小さく肩を震わせている。


(……楽しかった? ふざけるな……)


けれど同時に思う。


(でも、そう言わなきゃ……どうなるかわからない)


ベランダの網戸には、小さな蟻が一列に並んでいた。

それはまるで──次の旅行の順番を、静かに待っているかのようだった。


(頼むから……もう、当たらないでくれ……)

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