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第173話 蟻様の選挙

この国では、蟻にも選挙権がある。


いや、正確に言えば──「蟻の投票」がすべての選挙結果を決める。

人間たちも形式として投票所に足を運ぶが、その一票は蟻の票数に比べれば塵芥同然。

結局、蟻たちがどの党を選ぶかで、この国の未来は決まるのだ。



今年の選挙は特に注目が集まっていた。


財政再建を訴える青山党、福祉充実を掲げる樫本党、

環境保護一点突破の葉隠党、そして「何も変えない」を唯一の政策に掲げた長谷川党。


テレビは朝から晩まで討論を繰り返す。


「蟻様は合理性を重んじると専門家は見ています」

「いやいや、最近の蟻様は環境寄りですよ」

「統計的に見ると福祉です!」


各候補者は選挙カーを走らせて街中で叫ぶ。


「蟻様にお訴えします!」

「蟻様のための政策です!」


街には『蟻様の未来を守るのは樫本党!』

『女王様と蟻様の健やかな巣を長谷川党が守ります!』といったポスターがびっしり貼られ、

候補者たちはコロニーの穴にメガホンを突っ込み、必死に演説をぶつけていた。


──しかし、蟻たちは一匹たりとも顔を出さない。

ただ黙々と巣穴から出て、列をなし、目の前の砂を運んでいくだけだった。


蜂蜜を撒いて票を稼ごうとする候補者も現れた。

それを見た支持者たちは「清き一歩です!」と拍手を送る。




そして投票日。


巨大な体育館が開票所になる。

そこには何十万匹もの蟻が運び込まれ、

広げられた投票マットの上へ一斉に放たれた。


マットには各党のロゴと政策の要約が書かれている。


係員が慎重な面持ちで蟻の入った小箱を開けると、

蟻たちは一瞬じっとし、次の瞬間には好き勝手に歩き出した。


「青山党へ……あっ、曲がった!」


「樫本党を通過……葉隠党の角で止まるか? いや……また曲がった!」


「無効票です!」


実況アナウンサーは声を張り上げる。


そのうち、何匹かの蟻は突然その場でピクリと動きを止め、脚を震わせ、裏返って息絶えた。


「……ああ、蟻様がお倒れになった。これもまた神聖なご意思です!」


スタジオの解説者たちは狂気的に拍手を送った。




深夜10時。


投票は終わり、ついに結果が出た。


当選したのは、もっとも地味で「何も変えない」を掲げた長谷川党だった。


テレビスタジオでキャスターが満面の笑みで叫ぶ。


「やはり蟻様は見抜いていらっしゃった! 何も変えないことこそ、この国の安定です!」


落選した候補者たちは、負けたというのに深く頭を下げる。


「これも、蟻様のお導きですから……」




帰りの夜道。


桐野悠斗は、幼馴染の笠井亮と一緒に家へ向かって歩いていた。


「なあ亮……結局さ、あの蟻たちって、ただ適当に歩いてただけじゃないのか?」


亮はゆっくりと首を横に振る。


「違うよ、悠斗。あれは蟻様の判断だ。人間にはわからない領域なんだよ」


悠斗は「……そうだな」と呟き、小さく笑った。


だが胸の奥には、どうしようもないざらついた疑問が残っていた。


──本当にあれは神聖な意思決定だったのか?

ただ偶然、そこに行っただけじゃなかったのか?




ビルの壁面モニターでは、長谷川党の勝利演説が大きく映し出されていた。


街を行く人々は立ち止まり、一斉にモニターへ向かって拍手を送っている。


蟻の巣の前には、老若男女が列を作り、丁寧に頭を下げていた。


悠斗も亮に倣ってそっと頭を下げた。


それから胸の奥で、誰にも聞こえないように、小さく呟く。


「……俺たちは、一体何を信じてるんだろうな」


その呟きは、夜の街灯に飲み込まれていった。

でも周囲の誰もが、再び大きな拍手を送っていた。



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