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第169話 蟻様に決めてもらった幸せ

この国の一部の区域では、人生の岐路に立ったとき、蟻に進路を決めてもらう習わしがあった。


「蟻占い」と呼ばれるその風習は、 庭先に砂を撒き、そこに蟻を放って行方を見守る。 右へ行けば挑戦、左なら守り、真っ直ぐ進めば愛、引き返せば別れ。 そんなふうに、人は蟻の向かう先に自分の未来を預けてきた。


人々はよく言う。 「ただ、責任を蟻に押しつけているだけだろ」と。 確かにそうかもしれない。だが、そのおかげで救われる心もあった。



佐伯悠人さえきゆうと、三十二歳。 幼い頃からずっと、何かを選ぶたびに蟻に頼ってきた。


中学卒業後、進学か就職かで悩んだとき、蟻は右へ進んだ。 進学を選び、仲間にも恵まれ、気がつけば学校生活は楽しく学びの道を歩んでいた。


大学卒業後、就職先を迷ったときも、蟻は真っ直ぐ歩いた。 挑戦を選び、そして新しい仕事で充実した日々を過ごせた。


そして二十八歳のとき。 同僚だった菜穂と結婚するかどうかで悩んだ。 互いに惹かれ合ってはいたが、結婚とはまた別の大きな責任だ。


そんなときも、蟻に尋ねた。 庭に座り込み、小さな蟻を砂の上へ放つ。 すると蟻は、何のためらいもなく真っ直ぐ進んだ。


(真っ直ぐ……か。よし、行こう)


それから二人は晴れて夫婦となり、数年後には大切な娘も生まれた。 家は狭くても笑いが絶えず、仕事で疲れて帰ると小さな娘が「おかえり!」と飛びついてくる。 あのとき蟻が真っ直ぐ進んでいなかったら――今の幸福は、きっとなかったのだ。



月日が経ち、悠人はある休日、 娘と一緒に庭に出て、蟻の列を見つけた。


「お父さん、なに見てるの?」 「蟻だよ。昔からお父さんのことを、よく決めてくれてたんだ」


そう言うと、娘はきょとんとした顔をした。 「蟻が? どういうこと?」


悠人は笑って、そっと娘の頭を撫でた。 「お父さんはね、人生のことを自分で決めるのが少し怖かったんだ。  だからいつも蟻に聞いたんだ。そしたら、いつもいいところへ連れていってくれた。お前やママにも出会えたしな。」


娘はふふっと笑った。 「へんなの。でも、お父さん幸せそうだね。」


「うん。最高に幸せだよ。だから蟻様にすごく感謝してる。」

「じゃあ、わたしも人生決めてもらおっかな?」

娘は笑顔で言う。


悠人は蟻の列をじっと見つめ、小さく頭を下げた。 蟻たちはもちろん何の関心も示さず、ただ列を作り、静かに先へ進んでいった。


それでも悠人は、どこか誇らしげに穏やかに微笑んだ。


(ありがとう、蟻たち。君たちのおかげで、俺はちゃんと幸せになれたよ)


そう心の中で何度も繰り返し、娘の小さな手を握って家へ戻った。


蟻の進んだ先に、これほどの幸福があったなんて―― 結局、人の幸せなんて、理由なんてなくてもいいのかもしれない。 大事なのは、最期に自分が「よかった」と思えるかどうかだけなのだから。


そして、家に戻ってきた悠人は鍵を開けようとお尻のポケットから家の鍵を出そうとして落としてしまった。


そっと拾い上げた鍵の下には、黒く潰れた蟻が僅かに脚を痙攣させていた。

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