第166話 蟻に倣え
この国では、どんな議論も最終的には「蟻」に倣うかどうかで決まる。
ある日、国会で「定年制度廃止」の法案が提出された。
「皆さん、考えてみてください。我々は常に蟻様から学んできました。蟻には定年がありますか?」
続けて
「なのに、なぜ我々には定年があるのですか?」「これほど不公平なことがありますか!」演壇に立つ議員が、誇らしげに演説をする。
議場は静まり返り、その後ぽつぽつと拍手が起こり、やがて大きな拍手の渦となった。
ニュース番組も同調した。 アナウンサーは微笑みながら言う。
「蟻に学ぶことは、社会を円滑に保つために欠かせません。年齢を理由に役割から外れるなんて、蟻社会には存在しませんからね。」
街角インタビューでも、 「そりゃそうですよ。定年なんて、甘えですよ」 「私たちは蟻様のように死ぬまで働いてこそですから」 と老若男女が口を揃えて言う。
職場でも話題はそれ一色になった。 「これでうちの親父も、やっと群れの役に立てるな」 「退職金だ?蟻様だってはそんなものもらいませんよ。贅沢だよな」
笑いながら語る同僚たちの顔は、どこか張りつめていた。 彼ら自身も、いつまで働くのか分からないのに。
家に帰ると、父が珍しくリビングでため息をついていた。
「定年がなくなるってな……はは、これから死ぬまで働けってことか」 そう言いながらも、どこか安心したような顔をしていた。 役割を奪われるよりは、まだ群れの一部でいられる方がいいのだろう。
夜、窓辺の蟻道をぼんやり見つめながら、僕は思った。
(やっぱり、この国では蟻が基準なんだ)
働けなくなった蟻は、仲間に運ばれて巣の外へ捨てられる。 その光景を「自然の摂理」として誰も疑わない。
次は人間もそうなるかもしれない。 役に立たなくなった老人を、そっとどこかへ。姥捨て山のように…
――でも、それで群れが回るのなら。
どこかで、僕自身もそんな世界を心根では望んでいるのかもしれなかった。