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第163話 蟻の労働法

労働法改正が国会を通過したのは、ほんの数年前のことだった。


正式名称は「生産性維持及び群体意識促進法」――

だが誰もそんな堅苦しい名前で呼びはしない。

通称、「蟻の労働法」。


これにより、週7日・24時間の勤務が合法化された。

休息時間は「群れの都合により適宜」。

つまり、働く側の意思で休む権利は完全に消えた。



僕は都会の法律事務所で働いている。


新法が通ってからというもの、職場は明らかに変わった。

朝も昼も夜もなく、誰もが淡々と書類を処理し、電話を取り、頭を下げ続ける。

帰宅する者はほとんどいない。事務所の奥には簡易ベッドが並び、そこで仮眠をとってまた机に戻る。


最近は、職場で人が倒れる光景も珍しくなくなった。

昨日も、先輩の田島さんが突然デスクに突っ伏し、そのまま動かなくなった。


「おい、田島さん! しっかりしてください!」


肩を揺すっても、硬直したままピクリとも動かない。

心臓が止まってしまったんじゃないかと思った。


そこへ主任が現れた。


「どうした?」


「田島さんが……!」


主任はため息をつくと、どこかへ電話をかけた。

すぐに作業服姿の男たちが現れ、田島さんを無理やり抱き起こし、バケツに冷たい水を入れ持ってきたて田島さんにぶっかける。


バシャ――ッと頭からバケツを逆さにすると田島さんが驚いて体が飛び跳ねる。


次の瞬間、田島さんは目を開き、何事もなかったかのように息を整えて言った。


「……すみません。すぐ戻ります。」


主任は満足げに頷いた。


「よし、じゃあ急ぎの案件がまだあるから頼むぞ。」


田島さんは笑顔を作り、ふらつく足で自分の席に戻った。


その背中を見ながら、僕は無意識に立ち上がって頭を下げた。

周りの同僚たちも同じように、一斉にペコリと頭を下げていた。


――これが、この国の当たり前になっていた。



夜が来ても、電気の灯るフロアに終わりはない。

誰かが倒れれば、すぐに起こされ、薬を打たれ、理由をつけられてまた働かされる。


「君の遺伝子は持久力型だからな」 「群れの仲間が頑張っているのに休むのか?」 「誇りを持て。これが大人の責任だ」


その言葉を聞くたび、胸の奥がチリチリと熱くなる。

苦しくて涙が出そうなのに、不思議と誇らしい気持ちさえも、こみ上げてくる。


たまに窓の外を見下ろすと、街灯の下を蟻たちが列をなして歩いている。


(……俺たちも同じだな。)


そう思うと、自然に口元が緩んだ。


気づけば隣のデスクで誰かがまた倒れていた。

だが誰も騒がない。

すぐに人がやってきて、その人間にまた薬を打ち込む。

ピクリと体が動き、目が覚めると、その人は笑って「大丈夫です」と言って机に戻る。



これが「群れ」のため。

これが「社会」のため。


――それが、この国で生きるただひとつの意味だった。


そして僕も、胸を張ってまたデスクに戻る。

自分を消し、蟻のように群れの中で働くこと。

それが何よりも立派な「大人の生き方」なのだ…か…ら…。


バシャ――ッ!!

「コラーッ!起きろ!!」

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