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第162話 蟻の体験学習

この国では、高校生になると誰もが「蟻体験」を義務づけられるようになった。


それは学校のカリキュラムの一環であり、国民として当然の教育だった。 一週間、全寮制のコロニーに入り、蟻のように群れの中で生活する。


――自分を消し、皆のために動く。 それを身をもって学ぶのが、この体験の目的だった。


僕の番が来たのは、五月の終わり頃。 入梅前のじめっとした空気の中、僕は薄暗いバスに揺られながら山奥の体験学習専用のコロニーへ向かった。


入口で制服を脱ぎ、用意された黒いボディスーツに着替える。 背中には薄い装甲のようなものが取り付けられ、頭には触角型の神経センサーが装着された。


「これで、互いの動きを感じ取れるようになるからね」 職員は笑ったが、その目はまるで窓のない部屋のように冷たかった。


薄暗い洞窟のような施設の中には、すでに他校から来た生徒たちもいた。 みんな同じ格好で、声を発することもなく、黙々と働いている。


枯葉を運ぶ班。 トンネルを掘る班。 卵のような白い物体を並べる班。


僕も班に組み込まれ、指示されるままに動いた。


不思議なことに、センサーが脳に情報を送り込んで指示がくるおかげで、 誰がどこにいて、何をすればいいか分かる。 誰かが遅れると、自分の心臓がドキドキした。 誰かが頑張ると、それが自分の誇りのようにも感じた。


夜になると薄い寝床に横になり、薄暗い天井を見つめた。 同じ寝台がずらりと並び、みんな微動だにしない。


隣の友達に話しかけようとしたが、唇が震えるだけで声にならなかった。 声帯は、センサーによってしばらく制御されているらしい。


ただ、誰かの不安が、波のようにセンサーを通じて伝わってきた。 それが妙に心地よかった。 ひとりで感じる不安じゃない。不安さえ、みんなで分け合うから怖くなかった。


それからも朝から晩まで、誰かのため、群れのために動いた。 土を掘り、食料を集め、洞窟を広げた。


――自分のことなんて、いつの間にか考えなくなっていた。



一週間後。


プログラムが終わり、センサーを外された僕たちは再び制服に着替え、バスに乗り込んだ。


帰り道、誰もが無言だった。 でもどこかで繋がってるようで安心した。 あの蟻の一週間の体験を経て、ようやく僕たちも「大人になる準備」ができたのかもしれなかった。


(次は社会に出て、もっと大きな群れで働くんだ)


そう思うと、胸の奥が少しだけ熱くなった。

声も言葉もいらない。ただ群れの中で役割を果たすこと。

――それこそが、本当の幸せなんだと。


窓の外では、列をなして進む蟻たちが、まるで僕らを迎えるかのように光の下を歩いていた。

それを見て、なんだか無性に誇らしくなった。


――この国では、それが何より大切な教育だった。


(これで僕も立派な大人になれそうだ…)

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