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第156話 新たな帝国のはじまり…

この国では、いつからか蟻を殺すことは忌避されるようになった。


街のそこかしこに立つ「蟻通行優先」の標識。 ビルの屋上には巨大な蟻の像が建ち、毎朝出勤前には頭を垂れる人々の行列ができる。


子どもの誕生日には蟻祈祷の土を贈り、成人の門出には蟻護符を胸元に忍ばせる。 蟻はもはや神格を持ち、この国の血脈にまで溶け込んでしまった。


だから誰も、蟻を踏みつぶしたりなどしない。 道に蟻がいれば、そっと足をどかし、頭を下げて謝罪する。 車が列を作っていても、蟻の群れが横切る間はクラクション一つ鳴らさないし、渡り終わるまではしっかり待つ。


けれど。


そのすぐ横で、誰かがパチンと打ち鳴らした。 また一つ、路地の隅に転がる小さな黒い死骸が増える。


蝿だ。


人々は平然と蝿を殺す。 ハエ叩きで叩き潰し、殺虫スプレーを浴びせ、粘着紙で吊るして苦しめる。 誰もそれを責めないし、むしろ「不衛生を駆除して偉い」とさえ褒めそやす。


(――そのうち、蝿も黙っちゃいないだろうな。)


駅のベンチに腰掛け、サラリーマンの田村はぼんやりと空を見上げた。 そこにはいくつもの黒い点が舞っている。 羽音を立て、集まり、離れ、また寄り添って渦を描く。


そう…次は――奴らの番かもしれない。


田村はそっと額の汗を拭った。 指先に冷たく張りついた汗を見つめながら、ふと背筋が薄ら寒くなる。


もし、あの蝿が神になったとき。 この国は、また平伏し、護符を買い、蝿の幼虫を箱に入れて崇め合うというのだろうか。


どこか遠くで、またパチンと軽い音がした。 黒い影が一つ、地面に落ちる。


「あっ、あっちにもいるぞ!」 「そこ、そこ!早く叩いて!」


そして、人間たちは無造作に叩き殺す。 田村はそれを見送り、深く溜息をついた。 そして、何もなかったかのように歩き出す。


人間はきっと、また同じことを繰り返す。


──そのころ、空を舞っていた一匹の蝿は、 ひっそりと、その亡骸のそばに降り立った。


(……兄さん。)


地面に転がる黒い死骸。 昨日まで一緒に腐った果実に群がっていた兄だ。 あんなに速く羽ばたけた兄が、今はただ冷たく横たわっている。


(……俺たちは、いつまで黙って見ていればいいんだろうな。)


仲間が寄ってきて、兄の周りを旋回しはじめる。 誰も泣かない。ただ黙って集い、互いの体を擦り、羽音を小さく鳴らす。


(次は俺たちの番だ。俺たちが、あの上から見下ろす番だ。)


ビルの屋上の巨大な蟻の像が見える。 その足元には今日も列を作る人間たち。 でも蝿の目には、それがまるで滑稽な土塊にしか映らない。


ぷ〜〜ん


蝿は一つ羽を鳴らし、兄の亡骸を後にして飛び立った。 その軌跡は小さな渦を描き、やがてもっと大きな群れへと溶けていった。


そして今、また蝿帝国がはじまろうとしている。


ぷ〜〜ん、パチッ 「なんだ、蚊か…。」そして、そちらでも…

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