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第154話 パワースポット

この国では、蟻のコロニーが「パワースポット」と呼ばれるようになって久しい。


住宅地の脇道、公園の植え込み、ビルの隙間。 どこにでも無数の蟻の巣があり、人々はそれを見つけると、まるで古い神社に手を合わせるように、ありがたそうに頭を下げていく。


「ここ最近、調子悪くてさ。ちょっとこのコロニーの気を貰って帰るわ。」 「わかる。昨日、駅前の巣にお願いしたら上司が急に優しくなったんだよね。」


そんな会話が交わされるのは、朝の通勤路。 OLたちは蟻の巣に向かって小さく頭を下げ、列ができるほどだ。 その横を蟻たちが悠然と行き来し、人間よりも蟻の通り道の方が優先される始末だった。


街角のパンフレットラックには「おすすめパワー蟻塚MAP」が並ぶ。 だが、実際にはどこに行っても蟻のコロニーだらけで、街全体がパワースポットのようなものだ。 むしろ人間たちが蟻の気の中で暮らしている――そんなふうに言ったほうが正確なのかもしれない。



ある日、小学生のカナは母親とスーパーへ向かう途中、道ばたの蟻塚の前で立ち止まった。


「ねぇママ、この巣にもお願いしていい?」


「もちろんよ。しっかり頭を下げてお願いするのよ。」


促されるまま、カナはぎこちなく前屈みになって小さな声で唱えた。


「……どうか、明日の算数テストでいい点が取れますように。」


目の前では黒光りする蟻たちが忙しなく巣穴を出入りしている。 それを見て母はうっとりと微笑んだ。


「いい子ね。きっと蟻様が願いを聞いてくださるわ。」



商店街では、スーツ姿の男性たちがスマホをしまい込み、真剣な顔で蟻塚に手を合わせていた。 近くのカフェでは若い女性がラテを片手に蟻の行列を撮影し、SNSに「今日のパワー♡」と投稿している。


さらに老舗の不動産屋の窓には「この物件は蟻の巣から徒歩1分!運気爆上がり!」と誇らしげな張り紙まであった。



その夜、マンションへ帰る薄暗い廊下を歩きながら、カナの母はふと考える。


(……そういえば昔は、神社に行ってお願いしてた気がするのに。)


今では家族の健康も、カナの進学も、夫の仕事の景気も、全部蟻に頼んでいる。 思い出すと少し可笑しくなったが、それ以上に、もし蟻がいなくなったら――と想像するだけでぞっとした。


部屋へ戻ると、ベランダのプランターの陰にも小さな蟻塚がある。 母はそこにも軽く頭を下げ、それから窓を閉めた。



こうしてこの国は今日も平穏だ。


どこを歩いても、誰もが蟻に感謝し、お願いをし、無意識に蟻の機嫌を伺いながら暮らしている。


街全体が蟻の巣―― 人間の言葉で言う「パワースポット」だった。


最近では人体に直接蟻のコロニーを作る者も増えてきて、 蟻が蠢く身体にそっと手を合わせて祈る光景すら、もう珍しくなくなっていた。



とある街の交差点の信号待ち。 一人の青年が、30代半ばの会社員風の男にそっと声をかける。


「あの…、すみません。」


会社員が振り向くと、青年は少し恥ずかしそうに手を合わせた。


「プロポーズ、うまくいきますように……。」

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