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第151話 蟻の帝国と、一人の青年

資材置き場の午後。

木村はいつものように、川島先輩に睨みつけられていた。


「おい、また書類持ってくるの遅ぇじゃねぇか! お前みたいな使えねぇ奴は、さっさと辞めちまえよ!」


川島の怒声が響くたびに、木村の肩は小さく震えた。

胸ぐらを掴まれそうになるたび、ピリつくような恐怖が背筋を走る。


「ほら、さっさと動けよ。何ボケーッとしてんだよ。」


無理やり鉄パイプを押しつけられ、木村は必死で抱え込む。

膝が笑い、何度もつまずきそうになる中で、それでも懸命に走った。


「遅ぇんだよ! もっと早くしろよ、ノロマ!」


振り返れば、冷たい視線と嘲り笑いだけが待っていた。


「お前みたいな奴がいるから、現場の空気が悪くなるんだよ。」


言い返す言葉など、もう残っていなかった。

木村はただ、下を向きながら歩を進めた。




その時だった。


「おい木村! お前トロくせぇから……」


乱暴に肩を叩かれた瞬間、積まれていた鉄材が不気味に鳴いた。


――ギギギッ。


頭上で鉄材がわずかに傾き、その巨大な影が木村に覆いかぶさる。

反射的に視線を落とすと、砂利の隙間を忙しなく歩く蟻たちが見えた。


黒く、小さな、ただの蟻。


(おい……逃げろよ。潰されちまうぞ……)


そう思った次の瞬間、木村は咄嗟に蟻たちへ飛び込んだ。

両手を地面について身体を覆い被せるようにして


――ドシャァァン!


背中に重たい衝撃が突き刺さり、肺から空気が一気に押し出される。


(……ああ、やっちまった……)


視界が霞んでいく中、蟻たちが無事に木村の腕を伝って逃げていくのが見えた。


(……良かった……)


微かに唇が動いた。


「……生きろよ、お前ら……」


その言葉を最後に、木村の意識は静かに途切れた。




数分後、資材置き場は静まり返っていた。

しかし木村の亡骸の周囲には、助けられた無数の蟻たちが集まっていた。


その中に、ひときわ大きく光沢を放つ黒い蟻がいた。

――S-19ノルボア帝国のセプトリオンだった。

蟻帝国において外交と統治を担う特別な血統蟻。


小さなその身体から放たれたフェロモンは、風に乗り、日本中の蟻たちへと伝わっていった。


セプトリオンはそっと木村の指先に触れ、触角を小さく震わせた。

まるで「ありがとう」と告げるように。


仲間の蟻たちも一斉に触角を垂れ下げ、木村へと頭を下げた。




そして数日後――


街に異変が訪れた。


どこからともなく、黒い潮のような流れが押し寄せてくる。

歩道を、車道を、ビルの壁面を――全てを埋め尽くしながら。


道路は黒い血管のように蠢き、車の屋根や窓ガラスにまで蟻がびっしりと群がった。

エンジン音はか細くなり、ついには蟻の圧力で車が停止する。


街の景色は一変していた。

灰色の舗装も、ビルの看板も、街路樹も、すべてが黒い命に全面覆われている。


テレビでは緊急報道が流れ、人々は窓越しに息を呑んだ。


――その全てが、木村の亡骸があった資材置き場へと向かっている。


その現場には、木村を散々に罵倒した川島先輩が立ち尽くしていた。

蟻たちは川島を見つけるなり、ぐんぐん向かっていく。


「おいぉぃ……なんなんだよ……これはょ……」


川島が呟いたその瞬間、蟻たちは一斉に川島へ視線を向けた。

次の刹那、黒い奔流となって川島に覆いかぶさる。


「や、やめろ! やめ――」


川島の身体は悲鳴ごと黒い渦に呑み込まれた。

顔も腕も足も、すべて蟻で覆われ、やがて完全に沈黙した。



やがて蟻たちは再び木村が助けてくれた場所へ集まった。

セプトリアンがそっと木村が亡くなった場所で、触角を小さく震わせて深く頭を下げる。


その光景を取り囲むように、全国から駆けつけた幾京もの蟻たちも一斉に頭を垂れた。


波打つ黒い大地が、静かな波紋を描きながら、木村へと感謝を捧げる。

車の屋根の上でも、ビルの外壁でも、街灯の上でも――

蟻たちは一心に敬意を示していた。


どこかで風が吹いた。

蟻の触角が擦れ合う音が重なり合い、かすかに「ありがとう」と囁く声のように聞こえた。


こうして街は、蟻たちが一人の青年へ捧げた感謝で満ちていったのだった。


そして…木村はノルボア帝国で英雄として延々語り継がれるのであった。


いつもお読み頂きありがとうございます。

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よろしくお願い致します。

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