第13話:感性閾値(リミット・シグナル)
記録コード:Z-19-OBS-1301
状態:接触個体観測中
共鳴率:不定(揺らぎ状態)
警戒レベル:準最高
---
旧軍通信施設・地下2階。
須藤たちは埃まみれの端末を修復しながら、交代で仮眠をとっていた。
通信はまだ届かない。だが、短波の微弱なパルスだけが――断続的に、一定間隔で届いていた。
「これは……何かの返答かもしれない」
彼らはパルスの発信源を辿り、隣接する地下壕の別区画へ向かう。
そこには、すでに灯りがあった。
---
数人の人影がいた。
須藤が話しかけてみる。
すると彼らも逃れてきた者たちだという。数カ月前からこの区画に暮らしていたらしい。
中心にいた男が、微笑んで言った。
「ようこそ。僕たちは“対話”を選んだ」
---
彼らは「順化」していないという。
だが、食事は特殊な発酵菌を含んだ植物性ペースト。
会話は静かで、一切の怒りや恐れがなく、不自然なほど論理的。
須藤たちは微かな違和感を抱きながらも、彼らの言葉を信じ、彼らとともに数日一緒に過ごす。
ここは安全だ。外敵のドローンは来ない。監視もないようだ。
だが、夜になると天井の鉄骨が微かに音を立てる。
「キィィ……カリ……カリ……」
蟻のようではないみたい。だが、音は着実にこちらに“近づいている”気がする。
須藤はこっそり、かつての報道用マイクで空間の共鳴音を録音し、スペクトラム解析する。
結果、そこには**“人間の音声帯域ではない指向性音声”**が重ねられていた。
これは、彼らの中の誰かが、もうすでに“内側”から感染している証だった。
---
その晩、須藤は元教師の女性(避難グループの一人)に話しかける。
「どう思う? あなた達……まだ人間だと思う?」
彼女は答えを避けた後、ぼそりと呟いた。
「そもそも“人間らしさ”って、そんなに価値のあるものかしら」
須藤は黙った。
答えられなかったのは、彼女がもう“順化”を始めていたと感じたからだ。
---
翌朝。須藤は決断する。
「ここも危険だ…俺達はもう、ここにはいられない。」
誰も止めなかった。
ただ、中心にいた男が言った。
「気をつけてな。君が信じてる“人間性”ってやつは、たぶん最初から……幻想だよ」
その言葉を背に、須藤たちは沈黙圏をあとにした。
施設を離れる時、須藤はふと視線を感じて、振り向き施設の入り口付近の隅の壁を見た。そこには、小型のドローンが静かに停まってこちらを見ていた。通信遮断下のはずなのに、電源が生きていた。
まだ、誰かがここで外と通じている。
驚きと不安が広がる中、それでも彼らは荷をまとめ、また人間としての証を残すべく、再び霧深い山林へと足を踏み出して行くのであった。