第128話 蟻の慰霊碑
街の中央公園は、平日の昼下がりも多くの人でにぎわっている。
子どもたちが駆け回り、ベンチでは老人たちが将棋を指し、
パン屋の移動販売車からは香ばしい匂いが漂っていた。
その公園の一角――
噴水の奥に、静かに佇む巨大な石碑がある。
高さは大人の背の二倍以上もあり、磨かれた灰色の花崗岩には深々と文字が彫られていた。
「人類が過去の不注意により踏み潰し、命を奪いし数多の蟻様の御霊
この地に眠る
永く冥福を祈り奉る」
文字の周りには小さな彫刻がいくつも刻まれていた。
どれも、列を作り秩序正しく歩く蟻の姿だった。
慰霊碑の前には、絶えず新しい花束が置かれていた。
白や黄色の小菊に混じり、赤いバラやユリもある。
香りが風に流れ、通りかかった人々は自然に頭を下げた。
「今日も元気に学校行けますように」
「お仕事、無事に終わりますように」
そんなことを呟きながら祈る人もいれば、
ただじっと手を合わせ、瞼を閉じる人もいる。
ランドセルを背負った小学生たちは、校外学習で先生に引率されて並び、
「ごめんなさい」「これからも大事にします」と
先人たちの過ちを詫び、声を揃えてお辞儀した。
人々はこの石碑を尊いものだと信じていた。
――けれど、誰も自分の靴裏を見ようとはしなかった。
かつて人間が、踏み続けてきた靴底についた小さな黒い染みが、何だったのか。
朝の家を出るとき、道端で不意に感じたあの「プチ」という感触が、何だったのか。
それを確かめることは、後ろめたさから少し残酷すぎると誰もが思っていたのだ。
だから代わりに、今、慰霊碑の前で頭を下げるのだ。
一輪の花を供え、そっと掌を合わせる。
そうするほうがずっと優しく、ずっと平和的だから。
その日も夕暮れ近く、石碑の前を一匹の蟻が何気なく歩いていった。
慰霊碑の影から伸びる長い影の上を、躊躇うことなく列に加わり、どこかへ向かって進んでいく。
そしてその蟻の後ろを、また別の蟻が列を成してついていく。
(ああ…蟻様たちは今日も立派だ)
そんなふうに思いながらも、人々は誰も気づいてないふりをして、また自分の日常へと戻っていくのだった。
街には相変わらず笑い声が溢れ、パン屋の香りが風に乗って漂っていた。
けれどその足音には、時に知らず知らずのうちに、小さな命を踏みしめているのだった。
それでも――
人々はそれを知ろうとしなかった。
慰霊碑はただ黙ってそこにあり、沈黙のまま全てを許しているように見えた。