表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
125/279

第125話 蟻の研究禁止法

この国では、ある時から蟻の研究をすることは固く禁じられていた。

「蟻様に敬意を欠く行為」「人間の分を弁えぬ傲慢」とされ、法律で厳しく罰せられるのだ。


昔は昆虫学者や行動生態学者がたくさんいた。

熱心に蟻の行動を記録し、遺伝子を解析し、巣の構造を模型にした。

だが、それはある時を境に一変した。


――「蟻様を人間ごときが測ろうなど、あまりにも不遜」


そう決議されてからは、全国の大学や研究所から蟻関連の研究室は消え、資料も破棄され、教授や学徒は次々に逮捕された。

「蟻冒涜罪」という名目だった。


以来、蟻はただ尊崇の対象となった。

歩く道を人は避け、食卓では席を設け、ビルの設計は蟻の通行が最優先。

だが、なぜ蟻が人間の上にあるのか――その理由を知る者は、もう誰もいなかった。


そんな中、一人の若い生物学者・高村洸たかむらこうはひそかに蟻を観察していた。


夜、人気のない研究室の片隅。

防音カーテンを引き、細いスタンドライトだけを灯す。


机には顕微鏡、その下のスライドガラスに小さな黒い蟻が一匹。

高村は息を潜め、レンズを覗き込む。


「……なんてことはない、ただのクロオオアリじゃないか」


焦点を微調整すると、節だらけの足や、複眼の光沢がくっきり映る。

遺伝的に特殊な形質も、目立った寄生虫も見当たらない。


だが――

それだけだった。


「こんな、普通の……」


高村は安堵よりも不気味さを覚えた。

あれほどまでに神格化され、国中の秩序の中心となっているものが、何の変哲もない蟻。

その事実が、かえって恐ろしく思えた。


(記録を残そう。誰かがいつか、この馬鹿げた構造に疑問を持つ時のために)


そう思い、手元のノートPCに結果を打ち込み始めたその瞬間――


背後で、カサ……と、紙を擦るような微かな音がした。


振り返った室内には誰もいない。

けれど、床に点々と黒い列が続いていた。


(……蟻?)


高村は急いでコンセントを引き抜こうとした。

が、その指先を小さな何かが這い上がる。

見下ろすと、腕には無数の蟻が群がり、あっという間に肩まで這い上ってきていた。


喉がひゅっと狭まる。

声が出ない。

足がもつれて、その場に倒れた。


最後に視界がぼやける中で、高村は薄暗い天井を見つめた。


そこにも、蟻が規則正しく列を作っていた。




翌日、研究室から高村の姿は消えた。

机の上には破られたノートと、顕微鏡だけが残っていた。


「蟻様を研究しようなどとした報いだろう」


近所の人々はひそひそと話すだけで、誰も真相を探ろうとしなかった。

それが、この社会の常識だった。


だから今日も、街は何事もなかったかのように動いている。

蟻が歩くのを、ただ敬虔な面持ちで見守りながら――。


そして、人間がなぜ、蟻の上にいたのかさえも、また誰も知る者はいなかった。

ただ地上にいるというだけで…

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ