第123話 蟻のサーカス
古びたサーカステントが、郊外の空き地にぽつんと立っていた。
色褪せた赤と青の幕、すり切れた看板には『エルナンド一座 大巡業』の文字。
客席はほぼ満席。大人も子供も、久しぶりのサーカスに胸を高鳴らせていた。
最初に出てきたのは、クラウンのコロ。 派手な動きで観客を沸かせ、次々とボールや椅子を積み上げて見事にバランスを取る。
場内からは「おおーっ!」と歓声が上がり、拍手が鳴り止まなかった。
続いて空中ブランコ、火の輪をくぐる猛獣ショー。 小さな田舎町では滅多に見られない演目に、人々は手を叩き、子供は歓声をあげて飛び跳ねた。
そして――
場内が少し暗くなり、司会者が恭しく言った。
「さあ、お待ちかね……本日の目玉!われら一座が誇る最新芸――“蟻のサーカス”です!」
スポットライトが当たった中央のテーブルには、小さな円形ステージ。 そこに極小の照明が設置され、団員たちが誇らしげに囲んだ。
観客たちは、一瞬戸惑う。
(……どこ?)
「おぉーっ!」
最前列の子供が思わず声をあげた。周りの大人たちもつられて拍手する。
だが、実際には誰も何が行われているのか、肉眼ではほとんど見えなかった。 団員が誇らしげに小さな棒を掲げ、指示を出す。 その先の微細な世界で、蟻たちはきっとジャンプ台を飛び、綱渡りをしているのだろう。
観客は雰囲気に呑まれ、誰かが拍手すれば皆つられて手を叩き、 「すごいね!」「あんな小さな蟻が!」と口々に言う。
けれども――
実際に何が行われているのか、はっきり見えている者は一人もいなかった。
昔から続くサーカス団には、拡大映像を映すモニターもなければ、双眼鏡の貸し出しもない。
ただスポットライトが小さなステージを照らし、観客たちはお互いの興奮を確認し合うように拍手し続ける。
テントを出た帰り道、 「いやあ、あれはすごかったなあ」 「ほんとに…? いや、すごいんだよな、多分…」 そんな曖昧な会話があちこちで交わされていた。
それでも、誰も文句は言わなかった。
自分だけが見えなかったと言うのは、なんとなく恥ずかしかったからだ。
そして夜の闇に沈むサーカステントは、まだ誇らしげにそこにあった。 次の町でもまた同じように、人々は見えない何かを見て、拍手を送るのだろう。