第113話 蟻カフェ
街で話題の《Antique Café》。
木の香りがする落ち着いた内装。
静かに流れるクラシック。
テーブルの上には細やかな蟻の行列が規則正しく並び、黒く艶やかな身体を揺らしながら小さな砂糖粒を運んでいく。
ここは、蟻と人間が共生する社会で生まれた新たな“嗜み”の場だった。
「いらっしゃいませ。こちら本日の蟻道になります。」
ウェイターが、銀のプレートの上に微細な砂糖粒を散らすと、蟻たちがさっそく列を作り運び始める。 客は静かに微笑み、その行列を眺めながらコーヒーを口にする。
「なんて優雅なんだろう。蟻の調和は心を穏やかにしてくれるわね。」
隣のテーブルの夫人が、まるで花を愛でるように言った。
奥のカウンター。 そこで新人スタッフが、ミルに挽く豆を用意していた。
「すみません、こちらのオーダー分をお願い……」
慌ただしさの中、スタッフは小瓶を取り違えた。 カウンターには珈琲豆の瓶と、蟻の待機用瓶が並んでいたのだ。
プチ……プチ……プチ
小さな黒い蟻たちが、挽き臼に引き込まれ砕かれていく。
慌ただしく、いつもと違う音にも気付かない…
そしてカップに注がれたそれは、一見いつもの深い琥珀色の液体。
「お待たせしました。」
客の男性はゆっくりと口に含む。
……どこか甘苦く、しかし舌に残る独特の滋味があった。
「ほぉ…これは……不思議だな。いつものブレンドより、もっと深く身体に染み込む感じがする。」
だがその直後、別のスタッフが青ざめた顔で厨房に走ってきた。
「おい!それ何を淹れたんだ!? お前、もしかして……」
カウンターの瓶を確認した上司は顔色を失った。 すぐに厨房内は騒然とした空気になる。
「えっ、ちょっと……これ、まさか……蟻様を……?」
すぐに通報が入り、カフェに制服警察がやって来た。 店内の静謐な空気は一転し、ざわめきに包まれる。
「この店員を連行します。蟻類適正保護法第17条違反の疑いです。」
「ち、違うんです!ほんの手違いで……っ」
泣きそうな声を上げるスタッフを、警官は冷ややかに手錠で拘束した。 周囲の客は驚き、なかには目を背ける者もいた。
「神聖な蟻様を……挽いて飲むなんて……」
誰かが小さくそう呟いた。
残された男性客は、口の中に広がるその滋味を、複雑な面持ちで味わっていた。
(……これが、蟻の……)
だが次の瞬間、恥ずかしそうにそっとナプキンで口を拭った。
そしてまた何事もなかったように、テーブルの蟻の列を見つめ、穏やかに微笑んだのだった。
「また来るよ…。」