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第110話 蟻ガチャ

「ねぇ、お母さん、どうして……どうして僕を蟻に産んでくれなかったの……?」


リビングで小さな声がした。

テーブルの向かいに座る小学五年生の息子、悠真は、俯いたまま握りこぶしを震わせていた。


母親の美沙子は息を呑む。

台所ではまだ夕飯のカレーの匂いが漂っていたが、そんな空気は一瞬で凍りついた。


「と、斗希とうき……。なに、言ってるの……?」


「だって……蟻は、仲間がいっぱいいるじゃん。巣の中ではみんなで一緒にご飯運んで、守り合って……いつも、みんなと一緒だよ。いいなぁって……」



美沙子は、夕方一緒にスーパーへ向かって歩いた時の、斗希がじっと蟻の隊列を寂しそうな目で眺めている光景が頭から離れなかった。


道路の隅をびっしりと埋め尽くす蟻の隊列。

規則正しく歩き、ぶつかってもすぐに列を修正し、互いに触角を合わせて情報をやりとりするような姿。

食料を見つければ、すぐに仲間と共に巣に運んで行くような献身ぶりに。


彼らには争いがないように見えた。

きっと、裏切りもないのだろう。

皆で一つの目的のために生きているようだった。


「ぼく、友達いないからさ……。蟻だったら、絶対にひとりぼっちにならないのに……」


斗希の声は小さく震えていた。


ニュースではよく蟻の巣の特集をやっている。

地面を切り開き、透明樹脂を流し込んで固め、取り出して巣の構造を見せるのだ。

そこには迷路のように複雑で、でも完璧に計算された回廊と部屋がびっしりと張り巡らされていた。


数十万匹の蟻がそこで役割を持ち、淡々と、しかし確実に社会を営んでいる。


「蟻はさ……誰も余らないんだよね。兵隊蟻は戦うし、働き蟻は働くし、女王様は産むし……。誰かがいらないって言われること、絶対にないんだって……」


そして…斗希は続けて

「蟻は死ぬと仲間が運んでくれるんだよ。幼虫も皆で舐めて育てるんだって…みんな一人じゃないんだ。」


ぼそっと「もし…ぼくが死んだら、蟻だったら…仲間が運んでくれるのかな…」


斗希は突然おもむろに、涙をぽろぽろこぼした。


美沙子は胸が締め付けられる。

家族はいる。でも社会の中では、斗希は孤独だったのだ。


「……ごめんね。お母さん、人間にしか産めなくて……」


そう言った瞬間、自分でもおかしなことを言っていると思った。

斗希は泣きながら、母の手を強く握った。


「ううん……お母さんのせいじゃないよ……。ぼくが……ぼくが…人間だから、悪いんだ……」


窓の外を見ると、街灯に照らされて蟻の行列が見えた。

荷物を何十倍もの重さで運ぶ蟻たち。

誰ひとり怠けず、誰ひとり見捨てられず、全員が全員を支える。


その姿は、人間には到底真似できない完璧さで輝いていた。


美沙子は気づいた。

斗希はただ「強い」蟻に憧れているんじゃない。

孤独にならず、役割を与えられ、生まれた瞬間から生涯を全うできる、そんな社会に憧れているようにも見えた。


人間に生まれたことで、こんなにもこの子を苦しめてしまったのね――。


涙を堪えながら、美沙子は蟻の列を見つめ続けた。


斗希…ごめんね…


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