第104話 社会見学:第七フェロモン戦跡
「ではこれより、“第七フェロモン戦跡”の見学に入ります。列を乱さないようにねー」
引率の教師が声を張る。 夏の終わり、都内の小学校──4年2組の社会見学は、蟻コロニー同士の戦争跡地へと向かっていた。
整備されたガラス通路の向こうに広がるのは、赤土と骨のような白い遺構。 かつて「第七フェロモン区域」で行われた“フェロモン戦争”──黒軍と赤軍、双方でおよそ16万匹の蟻が動員された内戦跡である。
「へぇ~、これが、戦争の跡なんだぁ……」
子どもたちは口々に言うが、その目は好奇心に満ちている。
一人の女子児童が手を上げた。 「せんせー! 蟻って、なんで戦争したの?」
ガイド役の説明員(元・巣衛生局所属の民間職員)の女性が、にこやかに答える。
「いい質問だね。昔はね、フェロモンコードの書き換え方が標準化されてなかったから、隣の巣の命令が“敵意”として受け取られちゃったからだよ」
「それって、ケンカしたってこと?」
「うん、そうだね。でもこの頃はまだ“自我フェロモン”も未発達だったから、ケンカというより、“命令通りに死にに行くって”感じかな」
子どもたちは「ふーん」と頷く。が、あまりピンと来てはいない。
「なんで、知ってるの?」
聞こえていたはずだが、説明員は答えず、そのまま話し続ける。
「あれを、見てごらん。あそこが“最終捕食線”。ここで赤軍が全滅したの。 でもね、この戦争をきっかけに“共通フェロモン言語”が制定されたんだよ。そのおかげで今、蟻たちは今、争わず暮らせてるんだ」
「じゃあ、戦争って大事だったの?」と、別の男子児童が聞く。
説明員は少しだけ黙ったが、やがてこう言った。
「大事だった、じゃなくて──“必要だったと思わされた”のね。誰が必要としたかは、蟻自身ではないわ。」
子どもたちは首をかしげながら聞く。 その難しさがわからないから、無垢な笑みで通り過ぎていく。
ある少年・田島光汰は、遺構の一部に目をとめた。
そしてリュックに入っていた、お菓子を入れてた白い箱を見せ
「先生……この、白いやつ……何?」
「ああ、それはね……旧式の“人間型ナビゲーター”を入れるケースなのよ。昔の戦では、人間が一部のコロニーを誘導してたからね。もうないんだけどね」
光汰は必死に笑いをこらえた。
──後日、光汰の自由研究ではこうまとめられていた。
『蟻たちの戦争は、たぶん、。 僕たち人間たちと同じでお互いの勘違いからだったんだと思う。後から理由をつけて歴史にするんだと思う。 でも、僕たちの社会見学も同じだよね。』
それを読んだ担任は、苦笑しながら「とてもよくできました」と花丸をつけた。
数日後…。
光汰の家に、ある封書が届いた。
《蟻対応教育局より》 貴殿のご子息による記述には、フェロモン価値観への不適合表現が確認されました。 必要に応じ、補習および適性再調査を行わせていただきます。
──彼が将来、どの群れに属するかは、まだ決まっていない。
だがそれは、彼が決められることではなかった。
……やがて、その小さな事実もまた、群れの都合に合わせて書き換えられる。