56.魔獣騎士団結成三百年記念パーティー
魔獣騎士団結成三百年記念パーティーの会場は、王城の大ホールとその目の前にある庭園。
夕方から始まるパーティーは三大魔獣騎士団がそろい踏みということもあり、ホールはすでに熱気ムンムン。
国民憧れの魔獣騎士たちが一斉に揃うわけで、このパーティーになんとか潜入して縁を繋ぎたい令嬢たちの勢いもすごく、……あちこちで殺気やら秋波が飛び交っている。
ルートヴィヒ様にエスコートされ会場入りしたのだけど、夫は私の顔を心配そうにのぞき込んだ。
「クラリス。その……こういう場は久しぶりだろう? 体調は大丈夫か?」
……私、病弱じゃありませんけど? 気弱だっただけで。……まあ、口下手なルートヴィヒ様なりに心配してくれているのか。
「……大丈夫です」とは口にしたものの、私とルートヴィヒ様という珍しい組み合わせに、ひそひそと囁く声が耳に届く。いや、夫婦だから珍しいというのもおかしな話なんだけど。
「あら。あちらをご覧になって? ルートヴィヒ様が悪妻を連れてくるなんて空から紅茶でも降りそうね。今日は一応夫婦同伴だからかしら」
「あ~あ。公式の場でも王女様を堂々とエスコートされる日が来たらいいのに」
うん、予想通りの反応ね! 私は彼女たちへくるっと方向を変え、すたすたと向かう。
二十代前半のどこかの若奥様風の二人は、目の前に立った私に驚きを隠せない様子。
「っ!」
「な、ななななんですの」
「初めましてですよね。わたくし、クラリス・レーンクヴィストと申します。あの、先ほどお話されてた私の夫の件ですが、来年になれば王女様と――」
その時、かたわれの令嬢が「ひぃっ」と白目をむいて、体がそのまま後ろへ傾いていった。近くにいた騎士が慌てて駆け寄りキャッチしたけど、もう片方の令嬢は真っ青な顔に。顔には脂汗が滲んでいる。
一体どうしたのかしら?
彼女の視線を追って振り返ると、私の背後にはぴたりと寄り添うルートヴィヒ様。目が合った彼は「ん?」と首を傾げた。
再び令嬢を見つめると、彼女は泣きながら私への謝罪の言葉を繰り返した。
「ひっ! ごめんなさいごめんなさい! あの噂は根も葉もないという話は聞いてはいましたが信じていなくて! でも、もう信じましたからすみませんすみませんっ!」
「え? なんのことですか?」
「あっ! お、夫が来たので、失礼します!」
そう言うと女性は男性の元へ駆け寄って行った。魔獣騎士の制服に身を包む彼は彼女から何かを説明された様子。こちらを見て固まるや否や、その場に膝をつき――。
「クラリス、あちらへ」とルートヴィヒ様に回れ右をさせられてしまったけど、あの騎士、土下座しようとしていなかった……?
なんだか釈然としないけど……。下手に突いて大騒ぎになるより、放置が平和ね、うん。
そして、それ以降は悪意らしき視線や噂話に触れることもなく、なんだか拍子抜けだ。
カヤが「何かあったらこの笛を吹いてくださいね。カヤが駆けつけて、その女の口にヘドロを――」と笛を持たせてくれたけど、心配することはなかったみたい。
まあ、嫌味や悪口を言われたくらいで笛を吹くつもりはないけど、これは私がきちんと言いたいことを言うためのお守り的なものなのだ。
だけど……。今日この場で身構えていたような中傷に晒されていないのは、アロルド団長や第一魔獣騎士団の団員たちのおかげなんだろうな、と思う。
それと……。もしかしたら、ルートヴィヒ様が事前に何か動いてくれていたのかもしれない。
「おっ、クラリスじゃないか。ドレス姿が美しいな! ドラゴンたちに見せてやりたいよ」
「クラリス! 後でドラちゃんにも見せにいってやれよ。ドラゴンは綺麗なものが好きだからきっと喜ぶぞ」
同僚ともいえる第一魔獣騎士団のみんなが、私を見つけると話しかけてくれる。そこへ、アロルド団長もやってきた。
「よお、ルートヴィヒ。美しい嫁を連れてようやく公の場に来たか」
「アロルド団長。……あまり妻を見ないでもらえますか」
ちょ、ちょっと、何言っちゃってんのよ。私の上司でもあるのに。
「ははっ! 妻を溺愛する夫っていうより、なんだかおまえは執着する夫って感じだな。感情がねっとりしてそう」
「失礼な! クラリスの前で無礼なことを言うのはやめてください!」
「ぷはっ! はははっ、拗ねるなよ、ルートヴィヒ~」
あ、あれ? この二人ってこんなに仲良かったかな。まるで年の離れた兄弟のような雰囲気なんだけど。
完全に冷やかされ玩具扱いされているルートヴィヒ様だったけど、そのうちアロルド団長が何かを耳打ちするとその表情が変わった。
「……クラリス、悪い。少し離れないと行けない。第二魔獣騎士団の部下をつけておくから、彼から離れないでくれ」
「悪いな。ちょっと警備の打ち合わせで旦那を借りるぞ? うちからもカサンドラをクラリスにつけておこう。女性の護衛もいると何かと便利だろう」
わお。さすがアロルド団長。きめ細やかね~。
後ろ髪を引かれるようなルートヴィヒ様がアロルド団長と消え、私は部下と呼ばれたジャックとカサンドラと待つことに。ジャックは三十歳前後のコワモテ騎士さんだ。短いこげ茶色の髪にエメラルドのようなグリーンの瞳がとても綺麗。……コワモテだけど。
ヒッポグリフの赤ちゃんはまだかしら、なんて会場をキョロキョロ見回していたら、偶然耳にしてしまった貴婦人たちの噂話。
「奥様、お聞きになりまして? あの老舗ヴァルドリック・アトリエが潰れたらしいですわ」
「まあ。御用達の貴族家をいくつも抱えてましたのに、どうされたのかしら」
「……え?」
ヴァルドリック・アトリエって、レーンクヴィスト家御用達のあの傲慢な……?
ちらっとカサンドラを見ると眉尻を下げて肩を竦めた。ま、まさか、ルートヴィヒ様が何か……? ち、違うよね? そこまでしないでしょう……!?
さーっと青ざめていた私に、王宮侍女が近づいてきた。一目でわかるその制服は、王宮で働く侍女のステータスなのだと聞いたことがある。
きびきびと礼儀正しい彼女は、私の目の前でぴたりと足を止めた。




