37.ストレス限界値
「アロルド団長! お、お疲れ様です!」
急いで駆けつけたのか、お酒を少し飲んだのか。王女様の頬が薔薇色に染まり、目元が潤んでいる。
うわぁ。こんな上気した顔で見られたら、男の人はひとたまりもないだろう。かわいすぎる! こりゃ庇護欲全開になるわ!
……と思ったのだけど、アロルド団長の態度はそっけない。ああ、と言っただけでルートヴィヒ様に「話があるからついて来い」と立ち上がった。
そして、数歩進み振り返ったアロルド団長は私に向かって美しい所作で礼をすると、柔らかく微笑んだ。
「騎士団の連絡事項があるので少々ご主人をお借りします。レーンクヴィスト小伯爵夫人。思いがけずお話ができて光栄でした。それではまた会える日を楽しみにしております」
「ひぃっ、こ、こちらこそ」
び、びっくりした……。そうか。衆目が集まる場所だし、私の立場を慮ってくれたのか。悪妻が魔獣騎士団屈指のモテ男と火遊びしているだなんて言われたら目も当てられないものね。しかも夫と恋人のどちらも魔獣騎士団長なんて、ゴシップの格好の餌食だ。
だけど……、なんだかソフィア王女に冷たくない? 気のせいかしら。
普段のアロルド団長なら「今日もお美しいですね、チュッ」なんて手の甲にキスのひとつでも落としそうなのに。
私の側で立ったまま二人の背中を見つめるその王女様の顔をちらっと見上げ、はっとした。
……誰が見てもわかる。その瞳はいとおしい人を見つめる眼差しだ。
本当に、ルートヴィヒ様が好きなんだな、と心がくさくさする。二人が共に過ごしてきた時間がうらやましいような気もした。はなから勝てるわけもなかったわね。
私とルートヴィヒ様が積み重ねたものは……。
何かあったかなあ。全く思い浮かばないや。
そうこうしているうちに、話を終えて戻って来た二人。だけどルートヴィヒ様の顔は強ばり、アロルド団長の表情も険しい。察するに、あまりいい伝達事項ではなかったのかもしれない。
アロルド団長は王女様にも話があるから連れて行くというと、夫婦で楽しむよう口にしてその場を後にした。
非番って言ってたのに、魔獣騎士のお休みはあってもないようなものなのね。
「クラリス。混雑してきたし買った物は持ち帰ろう。このドラゴン焼きは焼き立ての方がおいしいから、ここで食べて帰った方がいい」
「……はい」
ルートヴィヒ様が私に手渡したのはドラゴンの形をした小さな焼き菓子。前世のたい焼きのミニ版みたいな感じだ。かわいい~! ドラちゃんに見せたら喜びそう! 中にクリームか何か入っているのかな。
さっそく、あーんとかぶりつこうとした私に、ルートヴィヒ様が余計な一言を口にした。
「ソフィアいわく、小さい頃から通っているここの魔獣焼き屋が一番おいしいらしい」
「……」
あむっと頭からかぶりついてみたものの、なぜか味がしなかった。
なんだか無性にしょっぱいものを食べたい、とどこか他人事のように機械的に口を動かしていると、「どう?」と聞いてきたルートヴィヒ様。
私の「おいしい」という言葉を期待する彼の瞳。
私は口いっぱいに詰め込んで、こくりとうなずくにとどめた。なんだか一刻も早く家に帰りたくなって、一気に食べ進めてしまったのは仕方がないと思う。
魔獣車で屋敷に帰る道中、すでに疲労は極限状態だった。
ドラちゃんとのお散歩で体力はついてきたように思うけど、人酔いしてしまったせいもあるのかもしれない。人混みって慣れてないと特に疲れるのよね。それに、今日は気も張っていたから身も心もへとへとだ。
なんとか部屋にたどり着くまではと、重たい瞼を上げようとしたのだけど。
いつの間にか、ふっと意識が遠のいていた。




