24.私が気にすることないわ
「……」
――本当に? 本当にルートヴィヒ様が来ていないって断言できる?
私の中の心配性のクラリスが顔を覗かせる。
一般常識で考えれば、来ない。そりゃあ、確かに約束はしていたけど、あくまでもドラちゃんと散歩をする様子を見学させてほしいっていう話だったもん。ドラちゃんのお散歩ができない、イコール今日は中止、ってわかるはずよ。
――そんなに心配なら第二魔獣騎士団に言付けすればよかったじゃない。
と、冷静なクラリスが頭の中で問いかける。
確かに。念のため「今日のお散歩は中止です」って。
団長に伝えておいてくださいって言えばよかっただけの話だわ。
――だけど、そんな風にやり取りをするような仲じゃないわよね。
と、つっけんどんなクラリスがその考えを否定する。
そうなのよね。別に友達でもなんでもないし、向こうが見学したいだけなのに私がわざわざそんなことする必要ある?
それに、それならルートヴィヒ様の方から聞いてくればいいじゃない。「今日約束してましたけど、散歩はどうされますか、お天気悪そうですが」って。
結論。
「そうよ。私が気にすることないわ」でまとまり。私はまた手元の書類に目を落としたのだ。
*
午後の五つの鐘が鳴り、いっそう冷えが増してきた頃。
私は傘を差し、ひとりあの場所を目指していた。
……もう、どうにも集中力は続かないし、気になって仕方がなく。
だったらこの目で確認してくればいいことじゃないと、外へ飛び出してしまったわけで。
地面は水たまりがない場所が見つけられないほど水浸しで、ブーツの中にもずぶずぶと水が浸透する。それでも、お願い、どうかいないでくださいと唱えながら、両手で傘の柄を握り締め、その足を進めた。
約束のあの場所が見えてくるも、人影はないようだ。
「はぁ、よかった…………んん?」
ほっとしたのもつかの間、木の根元に座り込む大きな人影が見え、心臓が跳ねる。そこには傘もささず、大木に背中を預けるルートヴィヒ様がいたのだ。
「……う、嘘でしょう?」
私は慌てて駆け寄り、ルートヴィヒ様が濡れないよう、その頭上に傘をかざした。カバンに入れてきたタオルを手渡す。
「ちょっ……! どうしてここにいるんですか!?」
「あ……クララさん」
「あ、じゃないですよ。お散歩するはずはないって思わなかったんですか? ほら、このタオル使ってください」
「ありがとうございます……」
「……まさか、午後の鐘二つからここにいたんじゃ……?」
タオルで顔を拭く彼の手の甲にそっと触れると氷のように冷たい。
「うわぁ!」と叫んだ彼は顔を真っ赤にし、ガバッと顔の下半分をタオルで覆った。
「なっ……」
乙女か。ソフィア王女に抱きつかれても平然としているくせに、ちょっと手の甲に触れたくらいで……?
……ああ。ソフィア王女以外には触れられたくないっていう悲鳴なの?
同情と申し訳なさと約束を守る彼の律儀さになんだが絆されかけていたけど、浮ついた心が急激に静まっていく。
「ああ、触れられたくありませんでしたよね。すみません。とにかく、きちんと連絡をしなかった私が悪いです。もう二度と約束しませんから、あなたもこんな無茶しないでください」
「そんな……私が勝手に待っていただけで」
「いえ、本当にすみません。早く騎士塔に戻って熱いお湯に浸かってください。風邪を引きますよ?」
「お願いです、そんなに突き放さないでください。どうか……、どうか、また約束してください。もしまた同じことがあった場合には、行き違いにならないように、ちゃんと考えて行動しますから」
……傘を差し中腰の私を、地べたに座ったまま見上げるルートヴィヒ様。雨に濡れて髪からぽたぽたと雫が垂れる様は、……まるで勝手に水遊びをして怒られた大型犬だ。
くっ……かわいいじゃないの。
結局、「いえ、もうやめておきましょう」「いいと言ってくれるまで戻りません」の押し問答の結果、折れたのは私だった。このまま言い争っていても騎士塔に戻りそうもないし、彼の体の冷えも気になったのだけど……。
ルートヴィヒ様って意外と頑固なんだな、と今さら夫の一面を知って不思議な感じがする。
こうして、私が折れたことでようやく納得した彼が満面の笑みを浮かべた頃、雨はすっかり止んでいたのだ。