20.残滓か情か、あるいは義務感か
そうこうしているうちに一週間が過ぎ――。
ドラちゃんと散歩をしていると魔獣舎の方からずいぶんと賑やかな声がし出した。
「あっ。第二魔獣騎士団が遠征から帰ってきたのね」
魔獣崇拝のこの国には、ドラゴン、グリフォン、ヒポグリフ以外にも魔獣が存在する。古からある森林や霊峰ともいえる高い山には野生の魔獣が住み着き、人間とはお互い干渉しないことで共存しているわけだけど、どこの世界にも悪いヤツというのはいるもので。
野良魔獣の天敵である密猟者は、麻痺や催淫などの効果を持つ魔獣の力を利用した製品を作ろうとしたり、珍しいその鱗や皮を使って贅沢品を作ろうとするのだとか。中には赤ちゃん魔獣をさらって高位貴族のペットにさせようとするなど、彼らの残虐な行為は枚挙にいとまがないらしい。
そんなわけで魔獣の中でも最も強い三大魔獣を従える騎士団には、定期的に巡回をして密猟者たちを捕まえたり、怪我をした野生の魔獣の保護などを行う仕事がある。今回はルートヴィヒ様率いる第二魔獣騎士団が当番だったってことね。
前回、ばったり会った日から今日は八日後。つまり、午後の鐘二つに約束している日だ。
今はまだお昼前。報告をしたり部下たちへ指示を出したり、団長として諸々の雑務を済ませたあと、ルクラの散歩がてら来るつもりなんだろう。
「……怪我とかしてないわよね?」
どうせ後で会うことが頭ではわかっているものの、なんだかそわそわして心が落ち着かない。疲れた顔をしているんじゃないか、怪我なく無事で帰って来たのか気になって仕方がないのだ。
……あと一年で離縁できるって喜んでいるくせに、これは長年クラリスが彼を思い続けてきた残滓なんだろうか。それとも情? 妻としての義務感?
「ふっ。笑っちゃうわね。彼は私がどんな扱いをされているのか気にかけたことなんてないのに」
「ギャ」
「ん? 慰めてくれるの?」
「ギャ、ギャ」
ぐいぐいと私を引っ張るドラちゃん。え、まさかグリフォンの魔獣舎を見に行こうって言ってるの?
「どうせ後で会うのに……じゃあ、遠くからちょっと見るだけ」
「ギャ、ギャッ!」
なんだかうれしそう。あ、ルクラのことを気に入ってたから早く会いたいのかな? 都合のいいように解釈しちゃうけど、案外私の気持ちを察して……? そんなわけないか。まだ赤ちゃんなのに。
兎にも角にもドラちゃんのおかげで「ドラちゃんがルクラを見たがったから」という理由ができ。私は第二魔獣騎士団へ向かうことにしたのだ。
*
ドラゴン魔獣舎とは離れたところにグリフォンの魔獣舎はある。第二魔獣騎士団のエリアに足を踏み入れるのはこれが初めて……! 魔獣舎のそのすぐ脇に立つ騎士団寮は独身の騎士だけでなく、夜勤の騎士が泊まったりする建物。ルートヴィヒ様も時々利用しているはずで……まあ、執事長の言うことを信じるのならだけどね。
ルートヴィヒ様が一応結婚しているということを忘れていないのなら、レーンクヴィスト伯爵家へ帰ってこない夜に、王女様の寝室には泊まっていないと思いたい。
遠目からも確認できる巨大な魔獣舎へ近づいていくと、徐々に「グルル」「カアッ」という咆哮が聞こえてきた。グリフォンの鳴き声のようだけど、威嚇というよりリラックスした会話のように聞こえる。
うんうん、出張が終わって家に帰ってきたようなものだもんね! おつかれさま!
建物の陰からちらっと覗くと、魔獣舎の前では団員たちが馬車から荷物を下ろしたり、グリフォンの装具を取り外したりと忙しそうにしている。
私の目が人だかりの中からあの人の姿を無意識に探す。彷徨う視線が背の高い彼の黒髪を捕らえると、胸がとくんとした。
「……あ、いた」
一週間も遠征に行ってたとは思えない、疲れをみじんも感じさせない精悍な顔。なんならエフェクトがかかって、彼の周りはキラキラしているかのようにさえ思えてくる。無口で不愛想で、妻を放置する冷たい男でもかっこよく見えちゃうんだから、美男子は得よね。それにしても……。
仕事中ってあんな顔してるんだな、なんて。パレードなんかのよそ行き用は見たことがあるけど、こんな普段の様子を見るのは初めてだからなんだか不思議。気心知れた仲間うちだからか、時折はにかんでいる。
ぼうっとその姿を眺めていると、彼の背後へ近づく人の姿に体が強ばった。「ルートヴィヒ」と呼ぶ甘い声。……ソフィア王女だ。
「ルートヴィヒ、お疲れっ! ねえねえ、今日の夜空いてる?」
「夜? なんで?」
「あそこに一緒に行って? ねえ、お願~い」
ルートヴィヒ様の右腕にしがみつき、駄々っ子のように体をくねらす王女様。指先からさーっと血の気が引いていく気がした。




