12.真綿で包むように(ルートヴィヒSide)
その頃、ルートヴィヒはレーンクヴィスト伯爵家の執務室にいた。朝早くから多くの私兵を相手に鍛錬という名の元になぎ倒し、その後は執務に集中している――と見せかけて、実際には仕事は全く進んでいなかった。
「マルセロ。クラリスが目覚めたか確認してくれ」
「二十分前にも確認し……、はい、了解です」
「かよわいクラリスはきっと疲れているはずだ。ゆっくり寝られるように配慮を」
「だったら、こんなに確認しないほうがいいんじゃないですかね」
マルセロの言いたいことはよくわかっている。だけど、クラリスが今どうしているのか気になって仕方がないのだ。
「ルートヴィヒ様……いや、ルートヴィヒ。この際だからはっきり言わせてもらうけど」
「……」
信頼できる部下と親友を兼任するマルセロは、公使の区別をはっきりつけながら接してくる。この言い方をする時は、ルートヴィヒのプライベートに立ち入ろうとしているということだ。ペンを走らせる手を止め、マルセロに顔を向けた。
「ああ。なんだ?」
「奥様のことだよ、クラリス様。昨日のアレを目撃した使用人には一応口止めしておいたけど……あれからどうなったんだ?」
昨日のクラリスは普通じゃなかった。おとなしく控えめな彼女が伯爵夫人にあるまじき行動をするなんて、ルートヴィヒだけじゃなく誰もが夢にも思わなかっただろう。
「どうなったも何も別に」
「別にって……。はぁ。おまえ、そんなにクラリス様のこと好きなのに一ミリも伝わってないと思うぞ? ったく、こじらせやがって」
「仕方がないだろう? 俺とは目も合わせられないほどクラリスは引っ込み思案だ。俺は彼女を大切にしようと思って……」
「だからって、言葉足らずな上に目も合わせられないんじゃ、ひょっとしてクラリス様は……まあ、いい。起きられたか聞いてくる」
ため息をつきながら執務室を出ていくマルセロの背中を見守りながら、ルートヴィヒは昨日の出来事を思い返していた。
*
――クラリスがアロルドと酒場で盛り上がっていた頃。
王城から屋敷へ戻ったルートヴィヒは、いつものように着替えながら、今日一日のレーンクヴィスト家の様子を執事に尋ねていた。
「クラリスはどうしてた?」
大抵、「今日は一日本を読まれていました」「庭園で花を眺めていらっしゃいました」の二択だ。先日の「王城の図書館に向かわれました」はずいぶんとイレギュラーなことだったが、基本的にクラリスは外出をしない。
本か花か。あの愛らしいブルーの瞳に、今日はどちらを映したのだろう。返答を待つ俺の耳に、信じられない言葉が告げられた。
「その……昼過ぎに街へ出かけられたまま、まだお戻りになっておりません」
「……なんだと?」
執事曰く、御者が先に帰宅してしまい奥様はどこにいるのかわからない。先ほど食事をどうするのか尋ねに行き、不在を知ったとのたまった。
「つまり、クラリスが家を出たのは昼過ぎ。それがこんな時間まで不在を知らなかっただと?」
聞けば、外出時に護衛もつけていないのだと言う。は? 正気か?
怒りで我を忘れそうだったが、マルセロが執事に掴みかかりそうな俺を止めた。
「ルートヴィヒ! 使用人を怒るのは後だ! 先に奥様を探さないと!」
確かにそうだ。今すぐ屋敷を飛び出し探しに行きたいが、最短で見つけるためにも話を聞くべきだろう。御者と護衛の責任者を呼び出し、怒りをこらえながら彼らを尋問する。御者も護衛も震えながら「奥様の指示だった」で押し通したが、怒りが収まるはずもない。
「……クラリスに何かあったら覚悟しておけよ」
捜索に出る彼らや使用人で屋敷内が大騒ぎの中、クラリスを連れて来たのは第一魔獣騎士団のアロルドだった。しかも、彼女を横抱きにして。
「よお、ルートヴィヒ。おまえの奥さん、寝ちゃったから連れて帰って来たぞ」
慌てて駆け寄ると酒の匂いがぷんとした。クラリスが酒を飲んだ……? 飲めたのか?
視線を上げると金瞳と目があった。男から見てもかっこいい人だ。無精ひげを生やそうが、それすらも退廃的な魅力に映る。
第一魔獣騎士団団長――通称ドラゴン騎士団のアロルド・エードルンド団長といえば、的確な指示で強いリーダーシップを発揮する有能な人物である反面、私生活はちゃらんぽらんで女性関係が派手なことで有名だ。
そんな彼がクラリスといつ接点を持ったのか。……そういえば、クラリスが王城の図書館に行ったと報告を受けた日。彼女は目の前のこの男と並んで歩いていたことを思い出す。
目が合ったら妊娠するという噂まであるアロルド。百戦錬磨の猛者にこれ以上愛する妻を触らせるわけにはいかない。
かっとしてその腕から強引に妻を奪い取るも、驚いた顔で「おっとぉ、危ないなぁ」と笑ったアロルドはどこか余裕だ。癇に障る。
上気した頬が愛らしいクラリス。口元が何かもごもごと動いている。食べている夢なのか、会話をしている夢なのか。
「まさかとは思いますが、妻と……」
殺気が漏れ出し、近くにいた執事が充てられガクガクと震え出す。
「ははっ。騎士仲間の妻に手を出すほど、女に困っちゃいないさ。それより……」
アロルドがクラリスを抱きかかえる俺の耳元に顔を寄せた。
「そんなに大事なら大切にすることだな」
低く冷たい声。剣呑な空気を纏うアロルドに眉を顰めた。
大切にする? 言われるまでもない。クラリスのことは真綿に包むように大事にしている。




