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長い眠りの後で  作者: たろう
第一章 出会い
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5

その二日後、問題なく男が動けるようになったのを確認してから、必死にへりくだる彼をなんとかなだめすかして、僕は断られた三軒の宿ではない四軒目の宿に部屋をとることにした。


男は恐縮しきりで僕についてきたが、その目は油断なく僕を窺っているのがわかった。


そう簡単に人を信用できないのだろう。


彼のこれまでの境遇が、彼の性根をこれほどまでにゆがめてしまったのだと思うと、悲しくて仕方なかった。


そして、この悲しさが、過去の自分に端を発していることが、更に僕をみじめにした。


結局僕は他者を自分を通じてでしか見ることができないのだと、僕が他人を心から思いやることができる人間ではないのだと、思い知らされたから。


ベッドが二つある部屋をとった。風呂は使えるのかと聞くと追加料金がかかると言う。手持ちのお金と比べてかなり高い料金だったが、彼には必要だろうと思うと、僕は何も言わずに支払った。すぐに準備をしてくれるという。


僕らは一階の奥の部屋を借り受けた。風呂場の側だった。


ほとんどない荷物を部屋に置くと、彼が御用伺いをした。


「必要ないよ。君も楽にして」

「そんなことはできません。私は奴隷です」

「……そうだね」

「一緒の部屋にいることも本来なら許されません。私のことなど気になさらずごゆるりとお寛ぎください。もしお邪魔でしたら部屋の外に立って待機しておりますが」

「そんなことはしなくていいよ。何せ君は病み上がりなんだから」

「お礼が遅れ誠に申し訳ございません。私のような卑しい身分に過分なご配慮を賜り、最大の感謝を申し上げます」


彼はあまりに頑なで、とりつく島もないといった様子だった。


彼に気付かれないように、そっとため息を零す。


「ねぇ、聞いて」

「はい。なんなりとご命令を」

「そうじゃないよ。聞いて」


じっと見つめていると、よく分からないという様子だったけれどとりあえずという風に彼がはいと返事をした。


「僕は君を人間として扱いたいと思っている。そして、けれど君が僕のこの言葉を全く信用していないことも分かっている」

「そのようなことはございません!」

「落ち着いて。何も君の忠誠を疑っているわけではないよ。落ち着いて。君を非難する意図は全くない」


言葉を切ってじっと彼を見る。


その立ち居振る舞いに、顔付きに、表情に、彼の苦労の跡がありありと見て取れる。


「打ちのめされた人間が、絶望を経験した人間がそう簡単に変われないということを僕は知っているから。だから、君のその頑なな姿勢を僕は非難しない。僕も以前は奴隷だったから。君のように契約魔術?というもので縛られた身分ではなかったけれど。だから、君の気持ちもよくわかるつもりだ」


真っ黒な瞳は何も語らない。無感動に光を反射している。


「何故あなたは私を買ってくださったのですか?」

「ごめんね。大層な理由はないんだ。成り行きだった。君が暴行を受けているのを見て、とっさに体が動いてしまって」

「そうですか」

「違うよ。違う。そうじゃない。勘違いしてはいけない」

「と、言いますと……?」

「僕は人に誇れるような立派な人間ではないし、そのように君に印象付けたいと思っているわけじゃない。これは僕の自分勝手な理由なんだ。本当に子供じみた馬鹿げた理由なんだ。あぁ……。君が酷く痛めつけられているのを見て……。それを見て。昔の自分を見せつけられたような気がしたんだ。恥ずかしいよね。あの時の自分の怒りを君に見ただけなんだ。それでついかっとなって、君の元ご主人たちにどなりつけちゃったってわけ。僕は知っている。体の痛みを。言葉の鋭さを。人間らしさを失って、そこらの動物よりも自分が無価値のように感じる絶望を。もちろんそれは僕の経験で、それは君の本当の辛さではない。君の虐げられてきた時間とその悲しみを僕は想像することしかできない。真に理解してあげられるなんてお為ごかしは言わない」

黒い瞳に揺らぎが生じる。

――助けてあげたかったんだ。

言葉にできなかった。きっと安っぽく聞こえるだろうから。

沈黙が落ちる。

「だから、そんな、最初から君を助けようなどという立派な気持ちから行動したわけではないんだ。ごめんね」

「いえ」

男が初めてまっすぐに僕を見た気がした。

「わかりました」

「ほんと?」

「試すようなことをしてすみませんでした。思い出しました。あの時、私が熱に浮かされている間に何がおきていたのか。でも、信じられなくて。私は……。私は……。」


彼が言葉を切る。


「私は、きっとあなたのお役には立てないでしょう」

「どうして?」


男が決意を込めた目で僕を見た。


「私を捨ててくださって構いません。見殺しにしてくださっても構いません。私は……、足が悪いのです。力を籠めることができません。腕も。利き腕もうまく動かせません。何もできません。過去の私の持ち主たちが、私にした仕打ちのためです。ですが、彼らの暴力は正当なのです。それが許されているからです。そして、何の役にも立たない奴隷など、ごみよりも価値がありませんから。生きているだけで、彼らが私を所有しているだけで金がかかります。お金を生み出す役にも立たないのに、ただ消費していくだけの私には、何の価値もないのです。ですから、先に謝らせてください。申し訳ありません。私は、あなたのためにはならないのです」


彼の声は酷く硬質に響いた。


「お風呂の準備が整いました」


その時、部屋の外から声を掛けられた。宿の人だろう。


僕はすぐに行きますと言って荷物を持つと、当然のように彼がついて来た。


「ごめん。そういえば君の名前をまだ聞いていなかった」


部屋を出ながら問いかける。


「ご存知ではないのですか?契約魔術を行使する際、あなた様と私の二つの名前が必要になるはずですが」

「そうなんだけど、僕が君の名前を確認する前に、書類が灰になって消えてしまって……」


不思議そうに首を傾げる。


「そういうこともありますか……。それでは改めましてご挨拶差し上げます。私の名前はコンスタントと申します。長いのでいかようにもお呼びください。それから……大変恐縮ではございますが、あなた様のお名前をお伺いしたく存じます」


深々と首を垂れる。


「コンスタントね。うん、わかった。僕はユージン。ご主人様は恥ずかしいから、ユージンと呼んで。君のことは、そうだなあ。スタンと呼ぶよ」

「畏まりました、ユージン様」


お風呂場に到着する。彼が当然のように僕のために扉を開ける。


「それじゃあここから先は君だけで入って。これが君の着替え。大きさはもしかしたら少し小さいかも。スタンは背がすごく高いから。それから、こっちはタオルと石鹸。髭剃り用の刃物が入ってるから手を切らないようきをつけて」


そう言いながらお風呂道具一式を無理やり持たせると彼の背を押す。


けれど、スタンは固まってしまったように動かない。


見開かれた目に浮かぶのは、驚愕?喜んでもらえると思ったんだけど。


「どうして……」


その先は言葉にならないようだった。


「さむいでしょう?お風呂に入って温まったら、きっと固まってしまった君のその心もきっと解れて、柔らかくなれると思うんだ。お風呂は嫌い?」


温かな白い湯気が浴室から僅かに漏れ出ている。きっと中は湯気で前も見えないくらいかもしれない。


僕が促すように彼の顔をみると、信じられないというように大きく見開いた目で中を見ている彼の横顔があった。


固く引き締まった口元に小さな綻びが生じる。唇が僅かに震えている。何かに必死に耐えるように。


僕の方を見る。


何度も唇が開いて閉じた。


言葉を探すように。


彼の目が忙しなく動いている。


答えを探すように。


「これは命令。さぁお風呂で体を綺麗にしたらいいよ。急がなくていい。一時間でも二時間でも。僕は君を急かさない。君は人間だ。奴隷じゃない。君の時間は君が自由に使っていいのだから。さぁ」


そう言って彼を無理やり浴室に押し込む。そうでもしないと、彼は足に根が生えたように動かないだろうと思えたから。


「大丈夫。僕はここにいるから、何か上手くできないことがあったら声をかけて。そのために僕はいるんだよ」


視線が伏せられる。


「……畏まりました」

「ごゆっくり」


僕はまだ躊躇いを見せる彼の背を押してお風呂場に誘導すると、扉を閉めた。


ほっと息を吐く。


緊張した……。体が綺麗になって温まったら、きっと気持ちも前向きになるだろう。

手応えは悪く無かったと思う。きっと上手くやっていけそうだと思った。


うん。大丈夫。


良かった。


そう思ったのは、扉の向こうから、低く小さく嗚咽が聞こえてきているから。


止めようとして、それでも止められない、心から溢れ出る呻き声だった。


小さな子供の号泣にも似ていた。


心が引き絞られるような声だった。


それは徐々に大きくなっていって、誤魔化しようもないくらいはっきりと僕の耳に届いた。


彼の運命の悲哀がその慟哭の中に見える気がした。

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