第6話:錆色の憂い
保護した子供について記録を残そうと思う。
いずれこの子が意識を取り戻した時に、手記が役立つ時がくるだろう。
そう考えながら、ダイン・アナバトスは、日誌の1ページ目に筆を走らせた――
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■記録日:新星暦504年7月13日
■経過期間:1日目
今日は、マガマの森を巡回している最中に、上流の川辺で意識不明の男の子を救出した。
<発見時の詳細>
[年齢]10歳前後
[外見的特徴]黒髪、身長は約120センチ
[救出場所]マガマの森、南西、崖付近の川辺
[その他]赤い宝石?が付いた首飾りを所持
意識不明の状態だが、体温は正常。呼吸も安定。
肌の色は若干白っぽいが、発疹等の異常は無し。
左胸に*型の傷跡あり。特に出血はしていない。
古傷にしては新しそうな怪我。いつのだろう?
チヨ婆の診察では危険な状態ではないとのこと。
これから毎日、健康状態の経過を記録していく。
■記録日:新星暦504年7月14日
■経過期間:2日目
子供はまだ目を覚さない。
特に異常は無し。体温、呼吸ともに正常。
■記録日:新星暦504年7月15日
■経過期間:3日目
子供はまだ目を覚さない。
今日も念のためチヨ婆に診てもらった。
特に異常は無し。早く目を覚ましてほしい。
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■記録日:新星暦504年7月18日
■経過期間:6日目
子供は相変わらず目を覚さない。
だが、今日は悪い夢でも見ていたのか、
うなされている瞬間が何度かあった。
そろそろ目覚めそうな気がする。
体調は特に異常無し。
■記録日:新星暦504年7月19日
■経過期間:7日目
まだ、子供は目を覚さない。
心配でチヨ婆に診てもらったが、
今のところ命に関わる状況ではないそうだ。
どうやら普通の子に比べて生命力が強いらしい。
何か特別な星の加護でも受けているのだろうか?
■記録日:新星暦504年7月20日
■経過期間:8日目
今日は何度か寝言を発していた。
聞き取れた範囲では、
お父さん・ごめんなさい・僕のせいだ (?)
苦しそうな顔で何度も言っていた。
父親と何か揉めたのだろうか?
子供が父親と再会する時がきたら、
仲直りの手伝いくらいはしようと思う。
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■記録日:新星暦504年7月23日
■経過期間:11日目
ついに子供が目を覚ました。
起きたばかりで意識が混濁してるのか、
こちらの声に対して返答がない。
会話はまだ難しい。
虚な目で天井だけをじっと見つめている。
チヨ婆に診てもらったが、体調は問題ないそうだ。
とりあえず意識を取り戻してくれてよかった。
明日からは食事が取れるようにサポートしていく。
■記録日:新星暦504年7月24日
■経過期間:12日目
今日はパンがゆを食べてくれた。
むせて少し吐いてしまったが、一応完食。
相変わらず、こちらの声かけに返答はなく、
天井だけをずっと見つめている。
あと、その様子を見て今さら気づいたが、
瞳の色が髪と同じで“真っ黒”だった。
髪と目がどちらも黒い人種は初めて見た。
どこかの珍しい民族出身なのだろうか?
……手がかりになるかもしれない。
知り合いの情報屋に調査を依頼しよう。
■記録日:新星暦504年7月25日
■経過期間:13日目
チヨ婆の薬が効いたのか、顔色が良くなってきた。
診察の結果も順調で、特に異常は無し。
ただ、会話は未だにできていない。
こちらの言葉は理解している様子なので、
音が聞こえない、というわけではないようだ。
何か喋れない事情があるのだろうか?
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■記録日:新星暦504年7月29日
■経過期間:17日目
今日は自力で立ち上がることができた。
さっそく一人でトイレに行けるようになった。
チヨ婆の言う通り、本当に生命力が強いらしい。
相変わらず会話はできていないが、
うなづいたり、首を振ったりすることで、
簡易的な意思の疎通は取れるようになってきた。
喋れるようになるまで気長に待とう。
■記録日:新星暦504年7月30日
■経過期間:18日目
昨日から動けるようになったので、
今日は、子供の気分転換になればと思って、
少しの間だけ庭へ連れ出してみた。
特に大きな変化はなかったが、
これからは外の刺激を与えていこう。
■記録日:新星暦504年7月31日
■経過期間:19日目
今日はおもしろい反応を見せてくれた。
子供を庭に座らせている横で、
日課の薪割りをこなしていたら、
急に、こちらに対して指を向けてきた。
反応を伺うと、腰鉈に興味を示したらしい。
木こりの家で育ったのだろうか?
体調次第で、薪割りを手伝わせてみよう。
何かいい変化があるかもしれない。
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■記録日:新星暦504年8月4日
■経過期間:23日目
ついに、子供が喋ってくれた。
ただ、素直に喜びづらいのが正直な感想だ。
初めて夜に外へ連れ出して、庭で焚き火をした。
最初はぼーっと火を眺めていたが、
突然、苦しそうに頭を抱えはじめて、
お父さん・ごめんなさい・僕のせいだ
と、前に寝言でも聞いた言葉を、
うわ言のように繰り返していた。
どうやら……大きな心の傷を負っていそうだ。
今はようやく落ち着いて、ベッドで眠っている。
焚き火を見せるのはやめておこう。
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■記録日:新星暦504年8月15日
■経過期間:34日目
最近は、日課の薪割りを手伝うようになった。
チヨ婆の定期診察は今日で最後だ。
体調は完全に回復した、とお墨付きをもらった。
焚き火の日以来、未だに喋れていないが、
これから少しずつ外との交流を増やして、
徐々に話せるようになってほしい。
保護してから一ヶ月が経過している。
いい加減、親と再会させてあげたい。
■記録日:新星暦504年8月16日
■経過期間:35日目
今日はようやく情報屋からの回答があった。
……黒髪黒目の民族は“情報がない”らしい。
あいつの情報筋でも分からないのか。
やはり、直接本人から聞き出すしかない。
■記録日:新星暦504年8月17日
■経過期間:36日目
今日は近所の子供たちと交流させた。
相変わらず無口ではあるが、
心なしか楽しそうにしていた。
あと、他の子よりも足が速かった。
ちょっとだけ誇らしい。
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■記録日:新星暦504年8月24日
■経過期間:43日目
最近は、村の皆との交流が増えた。
表情も明るくなっている。
今日は仕事で家を空けている日中に、
一人で外に出て、チヨ婆のところへ行ったらしい。
いい傾向だ。
少し奮発して晩飯は肉を多めにしよう。
あの子の喜んだ顔が見たい。
■記録日:新星暦504年8月25日
■経過期間:44日目
今日は森の巡回に付き合わせてみた。
どうやら森は歩き慣れているようで、
息も上がらずについてきた。強い子だ。
未だに無口なままではあるが、
表情で考えが分かるようになってきた。
蛇が苦手という子供らしい一面も知れた。
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■記録日:新星暦504年8月28日
■経過期間:47日目
髪が伸びてきたので切ろうとしたら、
思いの外、嫌がられてしまった。
どうやら後ろ髪だけは伸ばしたいらしい。
子供の考えは時々分からないことがある。
でもきっと、あの子なりの意思があるのだろう。
これからは好き嫌いの情報もちゃんと把握しよう。
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■記録日:新星暦504年9月3日
■経過期間:53日目
魚よりも肉が好きな傾向にある。
野菜の好き嫌いは特に激しい。
自分の料理レパートリーの少なさを痛感している。
チヨ婆にバランスの良い献立を相談してみよう。
■記録日:新星暦504年9月4日
■経過期間:54日目
チヨ婆から献立をたくさん教わった。
さっそく今晩、新しいレシピを試してみよう。
あと、チヨ婆に言われた言葉が頭に残っている。
俺の雰囲気が丸くなった、と言っていた。
正直、自分では分からない。……だが。
言われてみれば、最近は笑顔が増えた気がする。
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■記録日:新星暦504年9月15日
■経過期間:65日目
ようやく名前を聞き出すことができた。
子供の名前は『シャウラ』というらしい。
名前を聞けたのがきっかけだったのか、
簡単な会話もできるようになった。
これなら故郷へ帰せる日も近いだろう。
この日常も終わりが見えてきた。
***
今日分の記録を書き終えて、日誌が閉じられる。
感情を絞り出すように「ふぅ……」と吐息をもらしながら、執筆者――ダイン・アナバトスは、万年筆を静かに机へと置いた。
「……俺は、……どうしちまったんだろうな」
短く刈り上げられた錆色の髪を、左手でガシガシと乱暴に掻きむしる。
腕の動きに合わせて、筋肉が大きく躍動する様を見れば、彼がこれまで人並み外れた鍛錬を積んできたことがよく分かる。
服の上からでも目立つほど、発達した筋肉に覆われるその姿は、そろそろ五十路が近いようにはとても見えない。
いわゆる肉体派に分類される彼に、意外にも筆忠実な一面があることを知る者はいないだろう。彼自身でさえ、ここまで日誌が続くとは思いもしなかった。
彼は、自らの変化に戸惑っていた。独りで生きるのは慣れているはずなのに。心の奥底では孤独に疲れてしまったのか。
逞しい風貌に反して、錆色の瞳には懊悩の想いが浮かんでいた。
ダインはおもむろに席から立ち上がると、隣の部屋へ足を向かわせる。
部屋の奥に設けられたベッドで、規則正しい寝息を立てる黒髪の少年――シャウラを見つめながら、本日二度目の深い溜息を吐き出した。
「……俺にも人間らしい感情があるんだな」
分厚い口元から穏やかな声音がこぼれ落ちる。
心の内に芽生えつつある感情を自覚して、普段は吊り上がっている目尻が少しだけ和らいだ。