第5話:赫夜の変
夜に染まった森の中を、赤シャウラが歩いていく。
祠から離れた赤シャウラは、衣食住を求めて故郷の村を目指していた。
人間の体を憑坐にしている以上、食事や睡眠といった、生命活動に必要なものは変わらないらしい。
肉体的な制約に煩わしさを感じて、憮然とした面持ちのまま森を進んでいくと……ようやく目的の村が見えてくる。
シャウラの村は、死者の世界と化していた。
一方的な因縁による襲撃を受けて、わずか数刻の内に荒れ果てた村。常人であれば、直視できないほどの凄惨な光景が広がっていた。
しかし、赫灼の魔人に気後れという言葉はない。
赤シャウラが迷いなく足を踏み入れた瞬間、
「ちょいと待ちな。お前さんは少々危険すぎる」
客引きのような気安い口調で、制止の声をかける男が現れた。
暗闇に隠れていて、その男の風貌は見えない。辛うじて声の雰囲気で性別だけが判る。
だが、わずかそれだけの情報で、本能的に何かを感じ取った赤シャウラは、にやりと意味ありげな笑顔を浮かべた。
「おいおい、まさか早々にお前と会えるとはなァ」
赫然とした赤い瞳が、暗闇の向こうに視線を刺す。
その眼差しを受けた男は、顎を触りながら赤シャウラの様子をつぶさに観察していく。
「……お前さんはいったい何者だい?」
「俺は、俺だ。名前なんか疾うに捨てた」
「そうかい。それは悲しい回答だねぇ。
なら、そんなお前さんに聞きたいんだが、このあたりで『蛇』を見かけなかったかい?」
男の言葉に、赤シャウラの眉がぴくりと跳ねる。
「あ? ……そうだ、それだよ、それ。
寝起きにゴミを見て気分が悪りぃからさ。
お前ならちょうどいい。気晴らしに殺させてくれ」
「ええっ? いきなり凄いことを頼んでくるね。
まったく……蛇教徒を追いかけていたのに、お前さんみたいなのと出くわすなんて。
いくらなんでも災難すぎると思わないかい?」
「お前の御託を聞く気はねえよ」
赤シャウラは吐き捨てるように言い切ると、肩に手を添えて首の関節を鳴らす。
苛立たしそうな口調とは裏腹に、その顔には快活な笑顔が貼りついていた。
「あー、ダメだ。我慢すんの無理だわ。
身体が疼いてしょうがねぇから――」
”ささっと始めようぜ“
そう言葉を背後に残して。獰猛な目つきの赤シャウラが、凄まじい速度で地面を駆け出す。
対する男は――――動じず。冷静な眼差しで得物を構えると、迫りくる赤い殺意を迎え撃つ。
相反する雰囲気を持つ二人が火花を散らす。
火の粉が火勢を増して猛炎へと至るように、攻防を重ねるごとに戦いが激化していく。
この苛烈な戦いは、のちに『赫夜の変』と呼ばれる事態にまで発展する――
***
――同時刻。
シャウラが住まう山から五里(約20km)ほど離れた場所にある村。
そこは、アステリア星国・オクタール領の統治下にある『デカン村』という地だ。
デカン村の中で、一人の少女が山を見上げていた。
少女は山のある一点をゆび指しながら、隣に座る母親へと声をかける。
「ねえ、おかあさん。
なんか、あそこらへん。山が光ってない?」
「突然何を言い出すの。そんなことあるわけ……」
ない。そう言い切ろうとした母親の言葉が止まる。
母親の視線がある一点に釘づけされて、その光景を疑うように目を見開く。
視線の先――少女が指し示す先では、山の一部分が赤い光に包まれていた。
「……本当に、山が光ってる」
呆然とした気持ちを言葉に乗せる母親。
赤い光が点る山。その場所は、アステリア星国の観測上では未開の地という認識だ。
誰も住まない、誰も行かない山の中で、不可解な現象が起きている。
「騎士様に報告しなければ……!」
何か恐ろしい事態へ発展するかもしれない。
焦燥感に駆り立てられた母親は、村に駐在する騎士の家を目指して走り出す。
幸い、騎士の家はそこまで遠くない。急いで向かえば数分で辿りつく距離だ。
母親が走りはじめてから少し経った頃。ふいに夜空が明るくなったような気配を感じた。
反射的にそちらへ視線を向けると……山に点る赤い光が激しく明滅を繰り返す様子が。
その光は、瞬けば瞬くほど明るさを増していく。
異常な現象はそれだけで終わらない。
時折、雷を反転させたかのように、いくつもの赤い光が空へ向かって駆け抜ける。
赤光に照らされて、夜空がうっすらと赤みを帯びていく様は――まるで、激しい炎が夜空を焼いているようにも見えた。
「いったい何が起きているの……?」
不可解な光景を目にして、思わず母親の足が止まってしまう。それは他の村人達も同様だった。
ここまで派手に光が放散されれば、危機感が薄い者でも異変に気がつくだろう。
母親と同じように、村中のいたるところで、住民が立ち竦みながら夜空を見上げていた。
村人達が事態の成り行きを警戒する中――。
空にまで広がっていた赤い光が突然、山のある一箇所に向かって集束されていく。
そこは、光の発生源であろう中心地。下げ潮のように赤い光がその場所へと引き寄せられていく。
そうして光が一点に集められると……徐々に夜空の赤みが薄れていき、本来の紫黒色を取り戻す。
夜空の変化と対照的なのは赤い光だ。
これまでとは打って変わり。ろうそくの火先のような、ひとつまみの光に姿を変えて、暗闇の中で小さな赤い輝きを放つ。
このまま光が消えていくのでは……。そう考えるのは、あまりに楽観的すぎるだろう。
むしろ、全ての光を集束させたその灯火は、今までにないほどの胸騒ぎを感じさせる。
何かが起こる。村人達が身構えた瞬間、
限界まで圧縮された『赤い光』が弾け飛び――
全方位へと解き放たれた『赤い閃光』が、山を、空を、そして夜を――赫焉の衝撃で包み込んだ。
***
「――報告書の六枚目にも記載されている通り、自然破壊の規模に反して、当事案における人的な被害は、死者・行方不明者共にゼロ。
ララワグ山の異変から二ヶ月経ちましたが、落石や土砂崩れなどの二次被害も、今のところ確認されていません。
なお、現場を調べる中で、人為災害だと断定できる痕跡は見つけられていないため、自然災害の可能性も視野に入れて、引き続き調査を進めてまいります。
第一次調査隊の報告は以上となります」
そう言い終えた調査隊長は、短く唾を飲み込んだ。
発言の量自体はそこまで多くなかったが、緊張のせいで喉が渇ききっていた。
彼が今いるのは、とある屋敷の一室。
暗褐色を基調とした、重厚感漂うインテリアが飾られる執務室の中で、書斎机を挟んで自らの主人と対面していた。
彼が緊張しているのは、主人との関係性によるものではない。報告の内容が重すぎるからだ。
対する主人も「……はぁ」と小さな溜め息をこぼしながら、全ての体重を預けるように、椅子の背もたれへ寄りかかる。
「……本当に、山の半分が消失したのか」
「はい……。概算ではありますが、過去の調査時に記録をつけた泉が残っており、そこから山頂までの峰にあたる部分が完全に消失していました」
「山はどんな様子だった?」
「何かに削り取られた、と表現すればいいのでしょうか……。山の中腹付近が釜のような凹地となっており、地層がむき出しの状態でした」
調査隊長の言葉を聞きながら、手元の報告書へと目を向ける。
「その原因が赤い光だ、と」
「……ええ。正体は不明ですが、近隣の村で聞き回ったところ、誰もが口を揃えて『赤い光の爆発で山が消えた』と話していました」
「山を消し飛ばせるほどの爆発が、自然現象で起きると思うか?」
「それは……。私には断定できませんが、星の暴走であれば、あり得る話かと」
「確かに、その可能性は否めない。
だが、俺は蛇教徒による仕業だと睨んでいる」
「蛇教徒、ですか……」
そう言いながら、調査隊長は表情を曇らせる。
アステリア星国に住む者であれば、蛇教徒という言葉を聞くだけで、誰もが同じ反応を示すだろう。
それは主人も同様で、調査隊長の感情に共感するように「ああ」と頷いた。
「俺も関わりたくはないが、その可能性を考慮すべきだろう」
「……仰るとおりだと思います。では、正式にあの組織へご依頼なされますか?」
「金はかかるが、必要な経費だとして腹を括ろう。
すぐにでも手配をしたい。疲れているところ悪いが、マルファスを呼んできてもらえるか」
「承知いたしました。この後すぐに執事長へ声かけいたします」
報告を終えた調査隊長は、うやうやしく一礼をしてから執務室を退室する。
扉が静かに閉められて、室内を静寂が包み込む。
遠のいていく足音を聞きながら、独り残された主人は天井を見上げると、
「……二度とお前らの好きにはさせん」
強い感情が込められた呟きを、鋭く放つ。
天井を見つめる彼の瞳に宿るのは――激しい怒り。
寂とした執務室の中、報告書の端を握りつぶす音がやけに大きく響いた。