第2話:蠍
戦いの火蓋を切ったのは、ロビウスの剣だ。
本能的にサバトの強さを感じ取ったのか。先ほどまでの緩慢な動きとは打って変わり、初手から激しい攻撃を仕掛ける。
十歩以上ある距離を、わずか一歩で走破し――
瞬きを挟んだ次の瞬間には、しなやかな剣筋がサバトの首に迫る。
シャウラには、姿が突然消えたように見えた。
しかし――サバトは違った。
冷静に剣の軌道を見定めて、腰鉈でそれを防ぐ。
ロビウスは初撃が弾かれたことに「ほぅ?」と短く驚嘆しつつ、連続的な動作で二度、三度と続けてサバトの首を狙っていく。
だが、どの攻撃も腰鉈で防がれてしまう。
今度は、体を狙って斬り下ろす――と見せかけて、再び首を狙った変則的な軌道すらも、腰鉈が当然のように行く手を阻む。
角度を変え、狙いを変え、緩急をつけて斬り込んでも、サバトの皮膚までは届かない。
すでに十合以上の剣を交えたが、未だにサバトは一歩も動いていなかった。
その事実に、ロビウスは動きを加速させた。
しかし……それでもなお、サバトの反応速度を凌駕することはできず、腰鉈との打ち合いが続く。
ならば、と。今度は力をさらに込めた。大振りになってしまう代償を伴いながらも。
速さと力が乗った渾身の剣撃を……サバトは腰鉈で掬うように弾き返す。
体ごと剣を弾かれた結果、ロビウスの体勢が大きく崩れてしまい――
超人的な攻防の最中、サバトの瞳は冷静にその隙を見据えていた。
――サバトは空いている片手で、鞘からもう一つの腰鉈を引き抜くと、隙だらけのロビウスに逆手で切りかかる。
決まった! と、シャウラは思った。
決着の場面だからか、二人の動きが緩やかに映り、はっきりとその光景を目撃していた。
腰鉈が、ロビウスの胸元に当たる直前――
ロビウスの体がぐにゃりと折れ曲がり、骨格を無視した不自然な方法で避ける瞬間を。
「……ぇ?」
シャウラの口から驚きの声がもれる。
だが、サバトはそれすらも想定していたようで、流れるような動作で回し蹴りに移行すると、不自然な格好のロビウスを蹴り飛ばす。
吹き飛んだロビウスが倒壊した家屋に激突し、砂ぼこりがもうもうと舞い上がる。
「これだから『蛇』とは戦いたくない」
体勢を正しながら、サバトが短く愚痴をこぼす。
どうやら父は、敵のやり口を知っているようだ。
そのことが分かり、シャウラはほっと安堵の息を吐きながら、今の攻防を振り返る。
……父が本気で戦う姿を初めて見た。
部族最強と名高い父は、人前でその力をひけらかすことはしない。
人伝で聞く昔話では『大陸で有名な剣士を倒した』『獅子王を素手で打ち負かした』『凶悪な獣を一撃で討伐した』など、語られる武勇伝は枚挙にいとまがない。
父が凄いことは皆から聞いていたが……実際にどれほどなのかは知らなかった。
これが――部族最強の男。
それが自分の『父』であることを改めて認識し、胸が熱くなる感覚が押し寄せる。
「……おとうさん!」
感情につられて、父のことを呼んでしまう。
興奮した様子のシャウラの声を聞いて、サバトがちらりと視線を後ろに向けた瞬間、
――砂ぼこりの中から、矢のように飛んできた剣がサバトに迫る。
死角からの不意を突いた攻撃。
サバトの視線が外れた瞬間だった。
空気を斬り裂きながら飛来する剣は――サバトの胸に突き刺さる直前で――またしても、腰鉈によって弾き飛ばされる。
「……おかしいのです。あってはならないのです。
星の寵愛を受けていないただの蛮族に、この私が剣で遅れを取るなど、絶対にありえません!」
砂ぼこりが霧散していく中、駄々をこねるようなロビウスの声があたりに響き渡る。
耳障りな音が鼓膜に触れて、サバトは不快そうに眉根を寄せた。
「そうか。だが、これが現実だ」
「いいえ、認めません! 認められません!
そんなことは、絶対にありえないのです!」
「じゃあ、認めなくていい。
俺も、お前を認めない。全てを否定する。
知ってか知らずか、俺が遠出している時にこの村を狙いやがって。
ここに来るまでに、お前の仲間は全員殺した。
残りはお前だけだ。害悪な蛆蛇野郎」
淡々とした口調の中に、苛烈な憎悪がにじみ出る。
サバトの激しい怒りに呼応するように、三つ編みで束ねた一本の後ろ髪が、尻尾のようにゆらゆらと揺れ動く。
不思議な変化は、彼の体にも現れはじめた。
全身にうっすらと赤いオーラがまとわりつき、サバトの存在感を何倍にも膨れ上がらせる。
赤いオーラを身に纏い、黒い尻尾が揺れるその姿は、どことなく『蠍』の化け物を彷彿させる雰囲気を放っていた。
「その力は……! いったいどうやって……?
蠍の末裔に、星の寵愛は授かっていないはず。
にもかかわらず、貴方は個の才能だけで、その域に達しようとしている……?
そんな非常なこと、なおさら認められるわけがありません!」
「だから、言ってんだろ――」
言葉と共に、サバトが一歩踏み出した。
それは、彼がロビウスと対峙してから、初めて起こした自発的な動作だ。
その、たった一歩だけで――
踏み込んだ地面が砕け散り、
移動の余波だけで突風を巻き起こし、
赤いオーラで覆った腰鉈を赤熱させながら、
この場にいる全ての者の認識を置き去りにして、
――ロビウスの首を刎ね飛ばした。
「――別に認めなくていいって」
赤い一閃が、夕空に紅蓮の三日月を描く。
言い終えた瞬間、宙を舞っていたロビウスの頭が地面に衝突し、どさりと鈍い音を立てる。
その音を耳にして、ようやくシャウラの理解が現実に追いついた。
「……すごい」
目の前で魅せられた父の本気。
夕陽を後光にして、赤く燃えるように佇むその姿は、シャウラの憧れとして目に強く焼き付けられた。
「シャウラ、怪我はしていないか?」
残心を解いたサバトが、こちらに振り向きながらそう問いかける。
これに、シャウラはどう答えるべきか悩んだ。
父のおかげで、自分はどこも怪我をしていない。
自分は無傷で生き残ったのに……自らのせいで、この惨状を引き起こしてしまった。
正直に話して、尊敬する父に失望されるのは怖い。
だが、父の子であるからこそ、全てを話した上で罪を償うべきだろう。
そう決心して、シャウラが口を開き、
「……おとうさん、実は――」
懺悔の言葉を告げようとした瞬間。
――父、サバトの左腕が宙を舞った。
「……ぇ?」
衝撃の光景を前に、シャウラが絶句する。
サバトも一瞬だけ思考に空白が生まれるが、今やるべきことを即座に判断し――
覚悟を決めた表情で腰鉈を持ち直すと、赤熱する刃を傷口に押し当てて、簡易的な焼灼止血を行う。
自分の肉が「ジュゥ」と嫌な音を立てて焼かれる。腕を斬られたとき以上の激痛が脳を揺らす。
サバトは、気合で痛みをこらえた。
喉奥から迫り上がる叫喚を口の中で噛み潰し、微かな呻き声となった音が鼻から抜けていく。
――完全に不意を突かれた一撃だった。
剣の軌道上では首を狙われていたが、サバトの卓越した反応速度で辛うじて避けるも……代わりに左腕を斬られてしまった。
「おやおや、これも避けられてしまいますか」
サバトの左腕を斬った者が、残念そうに呟く。
その声を聞いて、驚きのあまりシャウラの目が見開かれる。
さすがのサバトも、こればかりは想定していなかったようで、同じように驚いた表情を浮かべていた。
「お前……なんで生きている……?」
傷口を抑えながら、サバトが声を絞り出す。
そんな二人の反応を見て、心底楽しそうな様子のそいつは、ねっとりとした口調で言葉を紡ぐ。
「なぜ、と聞かれたのでお答えしましょう。
それは――私が『蛇』だからです。
それ以上でも、それ以下でもありません。
……ああでも、そうですねェ。
一度死んで、頭を冷やすことができたお礼です。
貴方がた蛮族にも分かるように説明するならば、特別な寵愛を受ける者と、そうでない者の種族としての差、と言えば伝わりますかね」
傷ひとつない姿のロビウスがそこにいた。
首を刎ねられた傷跡は一切なく――無傷の状態で蛇のような笑顔を浮かべていた。