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赤星 - 蛇蝎の因果 -  作者: 山川すすむ
序章:赫灼の魔人
1/8

第1話:蛇

残酷な描写が含まれています。

苦手な方はご注意ください。




 草木が鬱蒼(うっそう)と生い茂る森の中を、黒髪の少年が走っていく。

 地面がどんなに悪路でも、躊躇(ためら)わずに、慣れた様子で駆けていく。


 少年は少しだけ焦っていた。時間を忘れて遊びに熱中するあまり、村の門限を過ぎてしまいそうだった。

 だから今日は、村人達が普段から使う山道ではなく、森の中を突っ切って進むことができる、最短距離の道を選んでいた。


 ときどき、このとっておきの道を使っていた少年は迷わずに、さくさくと進んでいく。

 手付かずの自然、木の葉や草むらを散らしながら少年は走る。そうして一直線に進んで行けば、やがて小さな池が見えてきて、その池を越えた先に少年が住む村がある。

 あと少しで村に着く。門限の時間にもなんとか間に合った。今日は怒られずに済みそうだ。

 そう、ほっと安堵の胸をなで下ろした少年は、走る速度を徐々に緩めると、体に付いた葉っぱを手で振り払いながら、ふと思い出す。


「ロビウスさんは無事に村へ着いたかな?」


 村の入口に近づいたからか。とある旅人の顔が脳裏に浮かんだ。

 今日の昼過ぎ頃、少年が森で遊んでいる最中に出会った、糸目と灰色の髪が特徴的な旅人。ロビウスと名乗る長身の青年。


 彼との出会いは、少年が声をかけたのがきっかけだ。森の中で迷っている様子のロビウスに声をかけると、どうやら少年の村に届け物があるものの、途中で道が分からなくなってしまったらしい。

 ああ、それなら森に詳しい僕が適任だ。

 少年が得意げに村への道を教えてあげると、ロビウスは少し大袈裟なくらい喜んでいた。その時の笑顔が特に印象に残っている。


 そんな出来事を思い出しながら、ようやく村へたどり着いた少年は、目の前に広がる光景を見て、突然足を止めた。――足を止めざるを得なかった。


「………………ぇ?」


 少年の口の端から、(かす)かな声がこぼれ落ちる。体の震えが声帯に代わって音を発したような、ほんの小さな無意識の声。

 目を疑った。夢ではないかと疑った。

 それほどまでに目の前の光景は、到底理解できるものではなかった。


 少年の眼球が、平静を失って小刻みに震える。

 目を背けたくても、背ける先がないほど全面に等しく広がるその光景。一瞬では処理しきれない量の情報が、少年の視神経を通って脳を揺らす。


 少年の視線の先には――倒壊している家屋(かおく)、壁や地面にこびり付く(おびただ)しい量の血、腕のような肉塊、辛うじて肉片だと分かる物体、血まみれで倒れ伏す村人、首から上がない死体、体の一部がない死体、瓦礫で潰された死体、老人の死体、子供の死体、顔馴染みのある数多(あまた)の死体、そして、この惨状を作ったであろう灰色のローブを身に纏う謎の集団――村中で虐殺が行われている光景が広がっていた。


 少年の耳に音が届く――誰かの悲鳴が鼓膜を揺らす。

 少年の鼻に風が届く――濃密な血の臭いが鼻腔を満たす。


 視覚、聴覚、嗅覚、それぞれの感覚器官が、目の前の惨状をこれでもかと知覚させる。

 (むご)たらしい現実を認識した途端、少年は強烈な吐き気に襲われて、胃の内容物を全てぶちまけた。


 なんで、どうして、なにが、なんで――頭の中を疑問符だけが空回る。

 恐れ、怯え、悲しみ、苦しみ、いくつもの感情が心をぐちゃぐちゃに掻き乱す。


 少年は見てしまった。目に焼き付いてしまった。知人の亡骸がそこら中に転がっている光景を。住み慣れた平穏な村がぐちゃぐちゃに壊されている光景を。

 せめて家族だけは生きていて欲しい。

 そう願いながら、虚な視線を彷徨(さまよ)わせると、地獄絵図の中心に、()()()()()()()顔見知りを見つけることができた。


 彼は、生きていた。

 その容姿を形容するなら、()()()()()()が特徴的な青年。

 少年が森で出会った『ロビウス』と名乗る旅人が村の中央付近で立っていた。……灰色の豪華なローブを身に纏い、血濡れた剣を右手に持ちながら。

 なぜ、と少年が問いかけるよりも先に。

 少年の気配を感じて、ロビウスがゆったりとした動作でこちらに振り向く。


「おやおや。これはこれは。

 貴方は先ほどの少年ではありませんか。

 ああ、なんという巡り合わせでしょう。このタイミングで貴方とお会いすることができるなんて。きっとこれは()()()()に違いありません。

 貴方には全てが終わった後、改めて感謝を伝えに行く予定でしたが……この巡り合わせに私は今、非常に感激しています」


 少年との再会を、心から嬉しそうに語るロビウス。

 森の中で話した時と同じように、大袈裟な身振り手振りで喜びを表現する。

 今この場では、一方的な殺戮が行われているのに。

彼の周りには、数多の死体が積み重なっているのに。

 ロビウスは何ひとつ気にする様子もないまま、ただただ少年との再会を喜んでいた。


 異常事態の渦中なのに、あまりに平常すぎるその姿は、むしろ際立った狂気を感じさせる。

 ロビウスの異常さに気押されながらも、少年は言葉の中にふと違和感を覚えて、反射的に「感謝?」と考えを声に出す。

 それを聞いて、目の前の狂人が笑った。


「ええ、そうです。そうですとも。

 貴方の献身的な道案内のおかげで、私達はすんなりとこの地へたどり着けました。

 そして、こうして予定よりも早く、()()に邪魔されることもなく、最も目障りな悪魔の末裔を抹殺することができます。

 貴方は、とても、とても、とても素晴らしき行いをされました。

 本来であれば、私にできる最上の返礼をしたいところですが……。ああ、悲しいことに、どうしてなのか。愚かにも、貴方はそこに転がる肉塊と同じ“忌まわしき悪魔の末裔”だという悲劇!

 その不幸な事実に……私は、非常に、非常に、非常に、非常に、非常にィ――絶望しながら、非情にも貴方のことを殺さなくてはなりません」


 ロビウスは、さらに深く笑った。

 糸目の隙間から紫色の瞳をうっすら覗かせて。

 唇を引き裂くように笑うその顔を、何かに例えるとするならば、それは――『蛇』という言葉が相応しいだろう。


 少年は理解した。自分がこの蛇を招いてしまったことを。自分の行動が発端となり、目の前の惨状が繰り広げられていることを。

 決して、悪気があったわけじゃない。ロビウスに声をかけたのは、あくまでも善意での行動だった。

 それがまさか、灰吹きから(じゃ)が出てくるなんて。誰だって想像できないだろう。

 だが――無情な現実は、言い訳を許してくれるほど優しくできていない。


「……僕のせいだ」


 少年の瞳から光が消える。

 自分の浅はかな行動の結果、大切な家族や友人の命が奪われてしまった。

 到底、許されることではない。自分自身が自分を許すことができない。

 少しでもこの罪を償えるのならば――いっそこのまま死んでしまいたい。

 抵抗する気力を失って、だらりと全身の力が抜けていく。


「ああ……! 素晴らしい。

 非常に、非常に、非常に素晴らしい表情です。

 私達をこの地へ案内した献身さといい、貴方は自らが背負う罪をよく理解されている。

 他の愚か者どもとは違い、逃げもせず、抗いもせず、泣きわめくこともせず、生きている価値がないことを認めて、素直に命を差し出すことを決められた。

 その行いだけで、貴方の先祖が犯した大罪が消えることはありませんが、私は、私にとっては、非常に心地よく罪を裁くことができます」


 そう言いながら、ロビウスが右手の剣をゆったりと振り上げる。

 狙いは少年の首。力なく項垂(うなだ)れるその姿勢は、自ら首を差し出しているのと同然。

 ロビウスは”その瞬間“を味わうように、緩慢な動作で剣を振り下ろしていくと――

 「シャウラ!」と、叫ぶ誰かの声が聞こえて、

 ――少年の首に当たる寸前で、割り込んできた腰鉈(こしなた)がロビウスの剣を弾き返す。


 衝撃で砂煙が立ちのぼる。

 不明瞭な視界の中、大きく後退したロビウスと少年との間に、立ちふさがる影がひとつ。

 一陣の風が吹き抜けて、砂煙が晴れると……。

 そこには――黒髪の大男が、長い腰鉈を構えながら立っていた。

 ロビウスよりも大きい男の背中には、三つ編みで纏められた一本の髪が伸び、風になびいて尻尾のように揺れ動く。

 その特徴的な後ろ姿を見て、少年が反応を示す。


「……おとうさん?」


 疑うような口調で咄嗟に言葉が出た。

 目の前の大男は、前を向いたまま短く答える。


「シャウラ、遅くなってすまない」


 少年――シャウラの父が生きていた。

 たった一言だけの会話。それだけで。父の声を聞いただけで、シャウラの心が温かい感情で満たされていく。

 それはシャウラの父も同じで、今すぐにでも息子を抱きしめてやりたかった。

 しかし、戦闘中によそ見をする余裕はない。

 腰鉈を強く握りしめて、ロビウスの挙動を睨むように注視する。


「…………して、……です」


 張り詰める緊張感の中、ロビウスが何かを喋った。

 ぼそぼそと譫言(うわごと)のように口を動かすせいで、上手く聞き取ることができない。

 不穏な気配が漂うその様子に、シャウラ達が警戒心を強めていると――突然、ロビウスの(まなこ)が勢いよく見開かれる。


「……なんていうことを! これだから蛮族は!

 神聖なる断罪の邪魔をするなんて、貴方はよほど頭がイカれているのでしょう!

 さすがに寛大な私でも、これは許せません。許されません。絶対に許してはなりません!

 私は今……非常に……非常に……憤っています!」


 怒りに満ちた紫色の瞳がシャウラ達を射抜く。

 シャウラの父――サバトは、ロビウスの視線から息子を隠すように腰鉈を構え直す。

 そんな父の背中はいつもより広く感じた。



 

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