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短編集

冬はドキドキの多い季節

作者: 汐見かわ


 大晦日の深夜0時前。歌合戦は終わって、年越しをカウントダウンする番組が始まっているのだと思う。芸人だらけの内輪で盛り上がる番組。そういう番組はあまり好きではないけれど、年末には頭を真っ白にしてぼんやり眺めていたい気もする。次の日は早く起きなくても良いんだし。

 吹く風は強くて容赦なく冷たい。時折り髪をぼさぼさに乱していっては、手ぐしで直す気にもならなかった。保冷剤のように冷たい鼻先からは体温が奪われている感じがする。年の瀬の冬はこんなにも寒かったっけ。

 タクシーに乗れば良かったかな……と、今ごろ思っても時既に遅し。足は吸い込まれるように真っ直ぐ駅に向かってしまっていた。そんなわけで、反対のホームにはこれから初詣に行くであろう人たちがちらほらといる。


「せーのっ!」

「バッカじゃねぇの」

「あははは」 


 若い男性の三人組が向かいのホームではしゃいでいる。そのうちの一人が突然にその場でジャンプをした。

 左手の腕時計を見るとちょうど十二時を回っていた。飛ぶのは何でだっけ。その瞬間地球にいなかったってことにするヤツだったっけ。

 そうか……楽しそうで何より。

 はしゃいで楽しそうにしている三人組を眺めていた時、髪をふき上げる風圧と共にホームに電車が入って来た。自分の目の前で車両のドアがピタリと止まる。もちろん降りる乗客は一人もおらず、ドアが開くと同時にがらがらの座席に真っ先に向かった。

 荷物を横に置いて、端の席に腰を下ろす。やっと家に帰れる……思わずため息が漏れていた。ロングシートの背もたれに背中を預けて、電車内の広告を眺めた。全然文字が頭に入ってこないよ。何て書いてあるんだろう。文字を追う気力も無いみたい。かなり疲れてる。そりゃそうだよ。年末……じゃなくて年の明けたこの時間に家に帰るって。そりゃどっぷり疲れてるに決まってる。

 中吊り広告を眺めるのは諦めて、スマホでもいじろう。最寄駅まで寝てはいけない。寝たら最後、乗り過ごして山梨まで行っちゃうもんね。それは絶対に避けたいところ。

 横に置いた鞄の中からスマホを取り出した。すると持ち方が悪かったのかスマホは手から滑って床に落ち、無機質な音を立てて足元に転がった。え、まさか割れて無いよね。慌ててスマホを拾ってチェックをしたけれど、スマホは何ともなく無事だった。良かったぁ。

 まさかスマホを落とすとは。自分にびっくりした。元旦早々何やってんの。

 指先は冷たくて、利き手を何度か閉じたり開いたり。あまり感覚が無い……ような気がする。寒いからね。少しでも血の巡りが良くなるように手を擦り合わせた。少しは温かくなったかな? いや、なってない。車内は空調が効いているのか効いていないのかとても寒くて、気付けば小刻みに足が震えていた。寒い。ものすごく寒い。

 震えは止まらなくて、指先も足先も顔も体も体という体の全てが寒かった。何か変な感じがする。とうとう過労で体にガタがきたのかもしれない。こんなところで倒れたくない。正月休み中で病院なんてやってるところないでしょう。え、やだ怖い。私どうなるの?

 早く家に帰ろう。寝たら大丈夫だから。そう、大丈夫だから。

 両腕で自分の体をしっかり抱きしめて、ガタガタと震えていると車両の連結部の扉が勢い良く開き、人が入って来た。男の人だった。その人は目を見張るくらいの端整な顔立ちの男の人で、モデルさんか何かかと思った。知ってる俳優の顔を思い出してみたけど、どれにも当てはまらなかった。

 知らない俳優かなぁと、私の前を通り過ぎようとしている男の人を眺めていたら、ふいに私の目の前でその人は立ち止まった。

 私に振り向いて、


「ちょっと失礼」


 男の人は私の目の前で膝をつき、突然に手を差し出してきた。


「顔色がかなり悪いですよ。脈をとらせて下さい」

「はい?」

「早く」


 その人があまりに真剣に言うものだから、自分の体をきつく抱きしめていた腕を解いて左腕を出した。私は何が始まるのかと少しドキドキとした。怖くは無かった。だって、悪そうな人には見えないから。

 男の人は手を取ってから、手首のところにそっと指を置いた。手慣れた手つきだった。この人、医療従事者……?


「脈が異様に早いですね。最近は息切れなど?」

「え? あ、はい。時々……」


 脈をとっていた手を伸ばしてきて、私の首に手を当てた。思わず体がこわばる。


「息を吸って、吐いて、吸って……はい、止める」


 言われた通りに息を吐いて、ふっと息を止めた。呼吸に集中したせいか体の震えはいつの間にか止まっていた。


「なるほど。冬は生活習慣の乱れや寒さのせいで、動悸、息切れ、気つけなどが多く発生しますからね」

「はぁ……」


 男の人はすっくと立ち上がり、コートの内ポケットに手を入れた。ハリのある仕立ての良さそうなコートだった。


「うん、大丈夫そうです。何事も無くて良かった。気になるようならこれを使ってみて下さい。諸症状にきっと効くはずです」


 内ポケットから取り出したのは小さな瓶だった。瓶を差し出してきたので、とっさに受け取ってしまった。

 瓶にはどこかで見た事のある商品名が書かれていた。


「では、お気を付けて。素敵なお正月を過ごして下さいね」

「……はい」


 にっこりと優しげに微笑んで男の人は次の車両に行ってしまった。

 手渡された瓶の中には丸い錠剤が入っていた。和漢錬成、生薬配合。あの人はメーカーの人だったのかな。それとも……?




2021年12月作成

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