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騎士の務め

 ヒエロ・フーリレンは私にとって尊敬すべき人間であり、敬愛すべき兄だった。


「三百六十二……三百六十三……」


 屋敷の前に広がる芝の庭。そこに用意された打ち込み用のカカシの傍らで木剣を握り、半裸で素振りをする兄。


 私と同じ色の髪を短く刈り上げた頭と、その逞しく大きな背中が見えると不思議と安堵感を覚えた。


「三百六十四……おっ、どうした妹よ。今は先生の授業の時間だろ?」


 その日、小うるさい家庭教師の授業から抜け出していた私はすぐに兄の目に止まった。


 天気はあまり良くなく日光は薄雲がかかり弱まっている。それでも、片膝をついて私の頭を大きな手で撫でる兄の顔は、薄い汗で輝いている。


「無理矢理休憩させて貰った?あー……そういうのはあんまり良くないんだぞ。先生を困らせるのも程々にしないと。まあ、俺も似たようなことはやってたけどな!」


 兄は叱るのが苦手なようだった。おどける兄に対して、私は勉強なんてしたくない。兄様のような騎士になりたいと駄々をこねた。


「む、それは違う。身体ばかり鍛えても騎士にはなれん。剣を振るだけでは人は助けられん。だからお前が今やってることは騎士になる為にも必要なことだ」


 ただ、そうして諭す時は常に真剣だった。


「それに……本当に騎士になりたいのかどうかはまだ分からない。そうだろ?」


 その指摘は正しかった。今思えば私は、兄の背中を追うという理由と如何にも子供じみた現状への逃避からそんなことを言っていたに過ぎなかったのだから。


「だから今は学べ。まだ先を決めるには早すぎる。お前には、これからもずっと続く未来があるんだ。……もちろん俺にもな。だから俺だって剣を振るだけじゃない、ちゃんと勉強もしてるんだぞ!」


 兄は優秀な人間だった。それは勉学や剣技だけじゃなく、多くの人間に好かれる人徳を持っていた。屋敷には兄を目的に訪問する人間が毎日のように見え、その中には兄に助けられたという人も大勢居た。


 フーリレン家の次期当主であり、騎士団でも既に一目置かれている。そんな兄は、輝かしい未来を歩んでいく筈だった。


 その日は曇天だった。分厚い雲に遮られ、雨は降らずとも日中から太陽が隠された暗い日であり、奴らにとってはこれが好都合だった。


 街を行く民衆に紛れ、貴族達が住む都市の上層へと向かう。そんな奴らを止めに向かった警備は最初の犠牲となり、血の戦――後にそう呼ばれることになる吸血鬼との戦いの始まりとなった。


「殺せ!殺せ!!我らが同胞を辱めた下等生物共を許してはならん!鏖殺だ!!」


 蝙蝠のような黒い翼を持つ人型が空一面を覆い、上層の地面は奴らが放った血とその場に居た貴族達の血に覆われていく。


 そんな地獄の最中に私と兄は居た。兄はその日非番であり、私の遊びに付き合ってくれていた。


「俺の側から離れるな。大丈夫、絶対に護ってやる」


 私を背に、時に抱え、唯一携えていた訓練用の木剣を片手に兄は戦い続けた。降り注ぐ血の杭を、首筋を食い千切ろうとする牙を、爪を。全てを相手取った。


 その末に、兄は私を抱えたまま倒れ伏した。


「あーらら、もう終わりぃ?ま、その貧相な装備でお荷物抱えた人間にしちゃ良くやった方かな。何人殺したのアンタ?……んじゃ満足したし、そろそろ潮時ね。いーち抜ーけたっ!」


 兄に致命傷を負わせた女の吸血鬼がそう言って飛び去って行く音を聞きながら、私は兄の命が失われていくのを間近で感じていた。


「アイス……お前はどうか……護りたいものを護り、多くを助けられる人間に――」


 それから間もなくして、武装を整えた騎士団が現着し奴らとぶつかり合った。その結果は勝利と呼べるものではあったが、失われた血は少なくなかった。


 戦後、王国は吸血鬼を厄災――古くに用いられていたという人間にとっての致命的な存在を意味する言葉で形容し、国内の吸血鬼に対する敵対意識を高めた。


 そして生き残った私は確固たる目的と決意で騎士の道へと進んだ。


 兄を殺したあの吸血鬼を、そして一匹でも多くの吸血鬼を殺す為に。





 ☆




 刃と刃のぶつかり合い。それが終わり、巣の上(ここ)まで跳んで来たアイスさんはレイさんに弾かれ地上へと押し返される。


 その間、アイスさんは僕達――いや、レイさんから視線を逸らそうとはせず、近づいた際に見せた怒りの表情が緩むことは無かった。


「失態に失態を重ねるとは……私はここまで要領が悪かったのか」


「いや、しょうがないですよ」


 割とショックを受けた風なレイさん。その手から伸びる血の刃はひびが入っていて、それを確認した次の瞬間には風化するように手から消え去っていた。


 炎よりも血を使う方が慣れてそうな感じだし、そもそも糸は炎の効きが悪いらしいし。咄嗟に使ってしまったのは仕方ない。というか助けてもらった僕が文句を言える立場じゃない。


 それに……今は()()()()()、気にしてる場合じゃない。


「レイさん、お願いがあります」


「なんだ」


()()で戦ってください。あ、蜘蛛相手にです」


「……それは誤魔化すことを諦める、ということか?」


「いや、もうそんなこと言ってる場合じゃ――わっ!」


「移動する」


 会話の途中、レイさんは僕を抱えたまま少し離れた糸の上へと跳んだ。移動の瞬間、微かに寒風が頬を掠ったのが感じられた。


「まあ、元より話は通じ無さそうだが」


 別の糸への着地後、僕達が元居た糸とその周辺は氷に覆われていた。多分今のはアイスさんがあの剣をこっちに向かって使ってきたんだろう。


「僕が何とか説得してみます!その間レイさんは蜘蛛を!あ、あんまり派手にやらないでください!こう、蜘蛛だけを狙ってって感じでお願いします!」


「任せろ。もう何も通さん」


 レイさんがそう返事をして口元のベールを取った後、見た目が変装状態から元の姿へと変わっていく。どうやらやってくれるらしい。というか変装してると本気出せないのか。


 今のはアイスさんも見てる筈だから、これで正体を誤魔化すというのは更に難しくなった。けど、しょうがない。


 本気を出してくれるらしいレイさんの目の前に広がるのは、巣の至る所からこっちに向かってくる蜘蛛達。思わず目を向けてしまう光景だし心配だけど、レイさんなら大丈夫だろう。そう思い僕は下を向いた。


 地上のアイスさんはさっきまで使ってた剣を地面に刺し、今まで使ってなかった方の剣を抜こうとしてるように見える。なんかまずそうな感じだ。


「アイスさーん!ちょっと落ち着いてくださーい!」


「起きろ、ギン!要求は後で――」


「というか蜘蛛!横から蜘蛛来てますって!!」


「っ!」


 僕に言われるまで気づいてなかったのか、アイスさんは慌てて地面の方の剣を取りすぐそこまで来ていた蜘蛛に向かって剣を振る。よし、今なら話が通じそう。


「あの!吸血鬼がどうとかやってる場合じゃないんです!()()()()()()()()!大蜘蛛のすぐ側に!!」


 それはさっき見た光景の一つ。釣り上げられた際に見えた大蜘蛛が居るベッドのような場所のことだ。


「糸で出来た繭?みたいなのから人の腕が出てたんです!多分アレ捕まった人ですよ!他にも腕は出てないけど同じようなのが何個もあったのが見えました!」


「……」


「僕達で喧嘩してる暇じゃないです!――早く助けないと!」


 蜘蛛を相手にするのに集中してるのか、アイスさんは何も答えない。大丈夫かな、落ち着いてくれるかな。とりあえずは人助けが優先って思ってほしい。


 いや。


『!?――くっ……!』


 あの時、僕が釣りあげられそうな瞬間、アイスさんは手を伸ばしてくれた。ここまでの道中であまり良い印象を持ってない……という多分嫌われてる。そんな僕を咄嗟に助けようとしてくれたんだ。


 敵意の無いレイさんが吸血鬼かどうかよりも、人助けを優先してくれる。そんな人な気がする。


「だから、とりあえずはレイさんと協力して蜘蛛をどうにかしてから――」


「終わったぞ」


「確認を……へ?」


「もう終わった」


 うそぉ!?それが当たり前だというようなレイさんの報告に慌てて巣の上を見る。するとそこにはさっきまでと同じように大量の蜘蛛たちの姿がある。さっきと違うのは一匹としてその場から動く気配がないこと。


「それぞれの頭を打ち抜いた。こいつでな」


 レイさんの指先に浮いていたのは小さな赤い塊……レイさんがいつも使っている血だった。


「いやそれぞれって」


「所詮は蜘蛛。額を貫くのに大した威力は必要ない。その分、数を用意してそれぞれに狙いを付けるのに気を回せた。流石に親蜘蛛には一発では足りなかったが。……どうだ?要望通り最小限、加えて最速で終わらせたぞ」


「レイさんなら出来るとは思ってましたけど……こんなに速く終わるとは思ってませんでした。凄いです」


「失態続きだったからな。名誉挽回というやつだ」


 心なしかちょっと得意げなレイさん。なんかとんでもないことしてないかこの人?さらっと親蜘蛛も倒したらしいし。本気でと頼んだのは僕だけど、アイスさんに話しかけてる間に終わるとは思ってなかった。


 ……やっぱレイさんって凄いんだな!うん!


「あと、地上の蜘蛛は標的から外したが……それも終わったようだ」


 下を見ればアイスさんが最後の一匹に向かって剣を振り終わった場面だった。アイスさんはその場で軽く辺りを見回した後、ゆっくりと僕達に視線を向ける。


 そこにはまだ敵意がある。ただ、最初のように話が通じないほどではないように感じた。


「アイスさん!あの――」


「その女は吸血鬼、それは紛れもない事実だ。私の目は誤魔化せない。だが……まずは貴様の話の真偽を確かめる。それが騎士の務めだ」


 そう言って剣を収めたアイスさんに、僕は心の底からほっとした。

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