21.マシロと忌み物
ぽってぽってとマシロが行く。ぴんと立った尻尾が上機嫌を示していた。マシロが二、三歩進んだら、悠介たちも一歩進む。小さな歩幅に合わせた速度は、陽気な気候も相俟ってピクニックを彷彿とさせた。
「いー天気だねーぇ」
「ねー。戻りはサンドイッチとか持ってピクニックしちゃおっか」
「マシロちゃんのお腹枕は譲らないから」
「突然の真顔やめて?」
決意の強く宿る眼差しに、そんなつもりはなくとも気圧される。つくづく変わったマドンナだと、悠介は遠い目をした。
彼女に夢見ていた友人たちから結構な頻度で情報提供を求めるメッセージが送られてくるけれど、これは教えない方がいい気がする。主に友人たちのために。
「理想と現実って違うよねぇ」
「? 何? 悠介くんってば、変なの」
「うーん、色々物申したいけどまぁいいや」
あっはっはー。感情の乗らない笑い声をあげると、くるりとマシロが振り向いた。
「きゅう?」
何してるのというような鳴き声に、まつりが満面の笑みを浮かべる。
「マシロちゃんが可愛くて今日も幸せ」
「まつりさん、あんまりすぎると禁止令出すからね」
「そんな殺生な!」
「マシロの保護者の一人としてマシロを守る義務と権利があるんだよね」
虎とはいえ幼子にちょっとヤバめな大人を近づけてはいけない。ぽてぽて近づいてきたマシロを抱き上げて頭を撫でると、目が細れられてねだるように掌に頭を擦り付けられた。懐いてくれるのは素直に嬉しいし可愛いと思う。けれどまつりの様子を間近にすると、何よりも守らなければという意識が強くなる。
(美人なのに、どうにも"異性"って認識にならないんだよなぁ)
残念と言うべきか勿体ないと言うべきかはわからない。でも同僚としてやっていくには気楽でいいから気にしない。
「ねえねえ、悠介くん、私もマシロちゃん抱っこしたいなー」
「だぁめ。ウトウトしてきてるから、今変わったら起きちゃうじゃん」
満腹、体温、気候、心拍音、振動。人間の子供と同じく、どれも子虎の眠気を誘うには効果的だったらしい。月を思わせる黄金の瞳は隠れ、なかなか姿を現さない。時折思い出したように薄く開くけれど、目蓋が閉じられている時間の方が長かった。
「うーん、天使の寝顔。これは起こせないわ」
残念すぎるけど仕方がない。まつりにしては潔すぎるほど潔く諦めた。人目もない今だから、写真くらいは撮るだろうと思ったのに。
「いいこ。いいこ。たくさん眠って、大きくおなり」
微風よりも柔らかい声と、日差しよりも温かな眼差し。子を想う母の笑みというのは、きっとこんな笑みをいうのだろう。見惚れずにはいられない、美しい笑みだった。
起こさないように、のんびりとした足取りでゆっくり草原を進む。空には小鳥が歌い飛び、道には時折スライムや小動物が顔を覗かせる。平和な旅路だ。
(あれ?)
ふと悠介の足が止まる。くるりと辺りを見回しても、変わらない穏やかな風景が広がっているだけ。
「悠介くん?」
どうしたの? と首が傾けられる。髪がさらりと風に靡いた。
「ううん、なんでもない。……行楽日和だなーって思ってただけたから」
「ええ? さっきも言ってたじゃない」
変な悠介くん。
コロコロ笑うまつりにあわせて、悠介は気を抜いた笑みを浮かべた。
水筒の茶を口に含み、こくんと一つ喉を鳴らす。喉の支えがすっと落ちた。
腕の中のマシロは、すぴすぴと気持ちよさそうに寝息を立てている。振動に気を使わなくても起きる気配はなく、それならとクベーニュ村までの道を急いだ。
悠介たちがクベーニュ村に到着したのは、空が橙色に染まり出す頃だった。
「こんにちはー? こんばんはー? どっちかわかんないけど、バルディオさーん」
「……いない?」
「いないみたい」
「んきゅっ!」
まずはと顔に出しに行った村長のバルディオの家だったが、不在なら仕方がない。その足で『レッドグリフォン』のギルドハウスに向かうことにした。
「あら、マツリにユースケ。帰ってたの?」
「はーい、ただいまでーす」
「いま着きまして。バルディオさんに挨拶と思ったんですけど、どちらにいらっしゃるかわかります?」
「村長? うーん、ごめんなさい、わからないわ。会ったら伝えとくわね」
「お願いしまーす」
またねと手を振り合い、また爪先をギルドハウスの方に戻す。
改めて村の配置に意識を向けてみると、リュカスの町のギルドハウスは外円にあったのに対して、クベーニュ村はほとんど中央に近い。何処で何が起きても対応しやすいようにしているのだろう。『レッドグリフォン』のギルドハウスまでも遠くなく、悠介たちはドアノブに手をかけた。
カロンカロンとカウベルが鳴る。
「ん? おお、ユースケにマツリ。おかえり」
「よお。なんだ、もうカタついたのか?」
ギルドハウスにはランドルフだけでなくバルディオもいた。カウンター席に腰掛けて世間話に花を咲かせていたらしい。二種類の笑顔に迎えられて、悠介とまつりもにっこりと笑顔で返した。
「ただいま戻りました!」
「えーと、少しぶりです?」
なんとも対照的な男女に、ほのほのとバルディオが大らかに笑って髭を撫でる。ランドルフはやれやれと言いたげに肩をすくめたが、にやりと悪どく口角を上げて二人を迎え入れた。
「元気そうで何よりだよ」
「ありがとうございます。お二人も、相変わらずのようで何よりです」
にこりと愛嬌のある笑みで応じたまつりに、ランドルフが無言で席を促す。悠介にも釣り上がった目を向けて、くいと顎で席を促した。
「何がいい?」
「んー……あ、ホットミルク?」
「温めのね。ランドルフさん、オレはお茶欲しいです」
「お前ら面倒くせぇよ」
言葉通り嫌そうに顔を顰めたランドルフに、まつりがふくふくと勿体ぶるような笑みを見せる。
「ランドルフさんったら、こぉんな可愛い子を見ても同じことが言えるんですかぁ〜?」
「ああん?」
その筋の人さえ裸足で逃げそうな極悪面を、まつりはにっこりと余裕の笑みで受け流す。続け様に持ち上げた愛猫もとい愛虎に、さしものランドルフも面食らった。一瞬だけ目を瞠りはしたものの、バルティオは好好爺然とした笑みを崩さない。
「うきゅ?」
「おやおや可愛らしい子だねぇ」
「……なんだ、こいつは……?」
「マシロちゃんです!」
えへん! とまつりが胸を張る。
(この人、オレと同期だったよな……?)
悠介は痛む米神を揉み解しながら、説明させてくれと控えめに手を挙げた。
「マシロは、黒妖犬と思われる魔犬に保護されていた子虎です」
「黒妖犬ぅ? なんだ、リトハルトの言ってたヤツ、黒妖犬の仕業だったのか」
そりゃあ相性悪いわなぁ、と納得しきりのランドルフは、現役時代を思い出すような懐かしさを声に滲ませた。もしかしたら当時にも似たようなことがあったのかもしれない。それは悠介たちには知る由もない。しかし何よりもランドルフがマシロを敵と見做していないことが、二人には重要だった。
「色々あって、オレたちで保護することになりまして。是非パーティーとして登録してほしいんです」
「マシロちゃん、こんなに小さくて可愛いのに汚ったない呪いの首枷付けられてたんですよ!」
動物虐待よ! と息巻いて訴えるまつりに、ランドルフも眉根を寄せる。
「呪いの首枷だぁ?」
「正式名称は調伏の首枷です。子虎には全くもって似合わない重苦しい鉄製でしたよ」
ググッとランドルフの眉間に谷ができた。もともとよろしくない人相が、感情につられて凶悪さを増す。
「クズ野郎が……」
吐き出されたのは地を這うような声だった。黒妖犬の唸り声より恐ろしい。
マシロがまつりにしがみついた。本能から怯えているようだった。まつりも知ってか知らずかマシロを抱く腕に力が入っていた。さすがに直はきついだろうと、悠介が一歩前に出る。指先の震えは見逃してほしい。
ーーかちゃん。
バルディオがカップを置く音が、嫌に大きく響いた。
「ランドルフ」
ただ、それだけ。名前を呼んだだけで、ランドルフに自制心が戻った。忌々しいと隠しもしない舌打ちをして、ガリガリと乱暴に頭を掻きむしる。何度か深呼吸を繰り返して、ようやく腕が下された。
「お前ら、来い。登録するぞ」
どうにかこうにか平静を取り繕おうとしたような声だった。それでもこのままにはしておくものかという強い意志がよくわかる。
悠介が強く拳を握り、一歩進む。まつりは躊躇い、なんとか半歩前に出られた。
(やっちまった……)
ランドルフは少しだけ申し訳なく眉を下げた。けれど、言及はしない。矜持で今もなお立ち続ける者への謝罪は侮辱行為に他ならない。少なくともランドルフにとってはそうだった。だからランドルフは謝らない。けれどこれ以上見続けることのないように、くるりと背を向けた。
気圧されながらも折れなかった年若い新入りを、誇らしく思いながら。




