候補者3.姫戸紗夜
3人目の候補者です。
姫戸紗夜は急いでいた。
二時間後には父方の祖父が用意させた中で唯一マシだったダークブルーのドレスを着て、街の一等地にある外資系ホテルのパーティールームで作り笑いを振りまいていなければならなかった。
急いで渡ろうと思ったとたん、横断歩道の信号が赤になった。周りに誰もいなかったので躊躇わず舌打ちする。
「はぁ……」
立ち止まって思い返すのは五限目の日本史の授業だ。隣の席の平井加奈にはいつも何故か関わってしまう。それが彼女の力なのだろうか。不思議だ。おかげでいつも授業で指名されるのだが、それは別に問題じゃなかった。
私が日本史に苦手意識があることを知っている日本史担当の深田には、思うところがあったけど。
平井加奈は事あるごとに私を褒める。けれど、彼女が言う頭にも性格にも、怖いと敬遠されがちなキツめな顔にも、プラスの感情は湧いてこない。はっきり言えばコンプレックスの塊だった。
彼女のように明るさで周囲の雰囲気を明るくする技術を持ってもいない。彼女のように誰も傷つけずに笑っていられる人を私は他に知らない。
私は彼女に嫉妬まがいの憧れを抱いていることを自覚している。もうずっと。
信号が青になる。
急ぎ足で渡り終えると、学校の道向かいの小さなショッピングモールに入る。食品売り場へまっすぐ進み、冷たいミルクティーとブラックのアイスコーヒーをつかんで、レジに並ぶ。
「いらっしゃいませ」
どうして私はあの子のように明るく振舞えないのだろう。
「148円です。」
私もあんな"いい子"だったなら、きっともっと全部、うまくやれたのに。
「あ、シールでいいです」
「はい、ありがとうございます。」
中年のレジの女性店員さんは柔らかい笑顔を私に向けた。支払いを済ませ、そのままエスカレーターを使い屋上の駐車場へ向かう。
別にあの店員さんのためになる行動はとっていないのに定員さんに言われたお礼を思う。
あの店員さんと平井加奈は同じだ。他人の心を温かくできる人だ。
私とは違う。
考える事は尽きなかったが、私にはタイムリミットがある。祖父が部下に命じて寄こす迎えが来てしまうであろう時間まであと十分ほどしかない。見栄と虚言と作り笑いが宝石に反射する世界で息をするには、酸素が必要だ。どうしても。
太陽が照り付ける屋上駐車場の隅にグレーメタリックのアクアを見つけ、運転席を確認する。
優しく、でもどこか遠い笑顔に酸素を求めて、助手席のドアを開けた。唯一安らげる時間が始まる。