嘘は言ってないからツンデレじゃないもん!
民草の見守る中、執り行われた古き儀式の終わりに、ムスタバール王子が大いなる神へと、その身に相応しき花嫁を希います。
すると間もなく、遥か天の彼方より目映い七色の光が降り注ぎました。
ゆっくりと交信陣の中央に収束した光たちは、互いに混ざり合いながら徐々に人の形を成してゆきます。
やがて、全ての色が輝きを静めたその場所に、象牙色の肌と漆黒の髪を持つ一人の美しき娘が立っておりました。
神はムスタバール王子を聖国ヌドァビナの正統なる王の器であると認め、その祈りを聞き届けたのです。
彼の花嫁として天より遣わされた娘は、恭しく差し出された王子の手に自らのそれを重ね、慈愛満つる微笑みを浮かべたと言われています。
こうして、神の娘を娶ったヌドァビナの新たなる王ムスタバールは、その治世において様々な改革を成し遂げ、生涯に渡り彼の国に数多発展を促した稀代の賢王として、永く称え語り継がれる存在となったのです。
ヌドァビナ国聖都、中央貴等学院 ある日の授業風景より
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「神聖なる神の娘にして我が花嫁よ、拙き招来に応じての此度の御光臨、心より感謝する」
清浄に整えられた王宮内の一室で、七色の光より出でた神秘の女性へ、褐色の肌に黄金の髪を持つ美丈夫ムスタバール王子が、その青と灰のオッドアイを向けたまま、好意と謝恩を示す手印を胸元で結んで円を描くように揺らした。
微笑みを湛える聖なる娘は、彼の言葉を受け僅かに唇を開き、何事か極々小さな呟きを落とす。
「……ら……な」
当然ながら、彼女の声を聞き漏らした王子は、今一度それを求めて舌を動かそうとし……しかし、その直後、唐突な異常事態に見舞われ、心身共に硬化を余儀なくされた。
「ほい」
「は?」
自身の肩口に伸びる華奢な腕を視界に収めたまま、ムスタバールは唖然と時を止める。
これまで王の長子として多岐に渡る教育を叩き込まれてきた彼にとって、到底理解不能な現実が目の前にあった。
沈黙は十数秒。
荒れ狂う思考の中、それでも何とか喉を震わせれば、更なる試練が王子を襲う。
「な……待っ……な、何を……」
「見たまま。
人差し指で鼻の穴をほじくって取れたハナクソをアンタの服に擦り付けたよね」
「え……あ、っえ?」
神の娘による突然の暴挙。
その品性下劣な言動に、ムスタバールは混乱し通しであった。
「な、なぜ……」
「とりあえず、幻想をぶち壊すのに手っ取り早いかなと思って」
「へ?」
彼女の奇行は、その存在を神聖なものと信じて疑わない王子の思い込みを確かに一瞬で打ち砕いた。
だが、だからと、こうまで突飛かつ下品な方法でなければいけない理由もなかった。
むしろ、相手をパニック状態にまで陥らせているのだから、明らかにやり過ぎである。
結論、娘自身の育ちの悪さが露呈したにすぎない。
「あのさ。そもそも、神の娘ってなに、我が花嫁ってなに、感謝ってなに。
こっち何にも知らないんだから、勝手に話進めないでマジで」
「ええっ?」
有り体に言ってしまえば、女は現代日本からの転移者である。
神の御業により遣わされた事実には相違ないのだが、しかし、全ては当人の与り知らぬまま行われたため、認識の齟齬が生じているのだ。
唯一、言語についての恩情はあったものの、異世界転移物語にありがちな特別な能力を得られたわけでもない。
「さっきの場じゃ、あんだけの人数の前で総スカン喰らうような真似はヤベェだろっつって、一応空気読んでソレっぽい行動取ってみたけどさ。
私、別に神のナンチャラじゃない、何の変哲もない普通の人間だし。
自宅で久しぶりの休日を満喫してたはずが、気付いたらアソコにいて服まで変わってたってんだから、そりゃビビるっての。
ホント、まばたきパチッの一瞬のミラクル。
ガチで何もかもが突然だったし、状況なんか微塵も分かるワケないし、正直、拉致だコレと思ってるんだけど」
笑みから一転、真顔で語る女の声は低く、うっすらと怒りの感情が滲んでいた。
彼女の言葉が全くの真実だとすれば、中々に驚異的な事柄である。
異世界トリップなどと、とんでもなく非常識な目に遭いながら、王子や民衆に違和感を抱かせるだけの間もなく、対応してみせたというのだから。
肝の据わり具合ならば、未だ平静を欠き続けるムスタバールとは比ぶべくもない。
「っ拉致!? ま、待ってくれ!
そなた、全て承知の上で神より遣わされた身ではないのか!?」
王子の口から悲鳴のように吐き出された問いに、女はわざとらしく肩を竦めて答えを返す。
「神? 神がリアルに実在して力を奮ってるっての?
ココって、おとぎ話の世界か何か?
そんなご大層なモンに会ったこともなければ、声も聞いたことないし、当然、花嫁だとかって立場に了承した覚えもないね」
「なん……だと……」
ここに来て、ようやく正確に事態を把握し、愕然とするムスタバール。
次いで、彼は端正な顔を不安げに歪めて、掠れる声を女性に向けた。
「だ、だが、今更撤回など……」
「いや、だぁっから、私そういうソッチの事情以前の状態なんだってば今っ、何聞いてんのアンタ。
完全白紙の問題用紙に一体何を回答してみせろって?」
王子の話を不敬にも遮って、女が呆れた様子を見せつける。
何も知らぬと申告しながらも、一連の出来事や彼の言葉から、彼女は目の前の褐色美男子が王子と呼ばれる存在であることや自身が蔑ろにされぬ立場にいることを察していた。
いかにも横柄な女の態度は、元々の性格もそうだが、相手の反応を観察し、今後の行動方針を固めるための布石でもあるのだ。
ちなみに、現時点で、彼女の王子に対する評価はけして低くはない。
王の子として下々から尊ばれてきたであろう彼が、只人を主張する女の無礼極まりない行いに激昂もせず、必死になって仔細の把握に努めようとしているのだから。
「あ、あぁ、そうか。すまない。
想定外のことで、こちらも混乱していて……。
しかし、そうなると、どこから話せば良いものか」
「っあ。してくれんの? 説明」
「せぬわけに、いかんだろう?」
ため息と共にそう告げたムスタバールは、どことなく疲れた顔をしていた。
時間がかかるということで、女を椅子に掛けさせてから、王子は部屋の外に待機していた侍従へ以後の予定の変更と飲料の用意を申し付ける。
とある理由から室内は人払いがされており、実は彼と彼女は閉鎖空間に二人きりという状況だったのだ。
やがて運ばれた毒見済みの果実水を手に、女の正面に腰掛けた王子が神妙に口を開く。
「これより語る事実には他言無用の内容が含まれる。
それを重々念頭に置いた上で聞いて欲しい」
「あーまぁまぁ、お察しではあったけど……改めて宣言されると嫌な気分だなぁ」
飾らぬ娘の態度に、ムスタバールはほんの束の間、どこか親しみのこもる苦笑いを浮かべた。
それからすぐに表情を戻して、彼は滔々と過去を紡ぎ始める。
長い話の途中、うっかり忘却していた互いの自己紹介などを挟みつつも、説明は順調に進んだ。
やがて、王子の弁を受け終えた女が、おさらいとばかりに片手を上げて、自身の理解の程を音にして示す。
「えーと、はい。
じゃあ、ちょいと纏めるから、違ったら教えてよ?」
「あぁ」
「まず、この国では神に定められた法律により、結婚してない男は王になれない。
だけど、王位継承権第一位の王子であるアンタは魔力的な何かアレな力がとにかく強すぎて、世継ぎを望める相手が見つからず前々から困っていた。
そんな王子の嫁が見つかるより先に現王が崩御したから、さぁ大変。
継承権第二位にあたる王弟は結婚してるけど、普段から横暴で選民思想バリバリ、彼に王位を渡すと国が滅茶苦茶になりかねない。
で、王弟とその一派が強引に戴冠式を行おうと画策していて、だからって、正当性がないわけじゃないし、結構ギリギリ追い込まれちゃって?
こうなりゃ最後の手段だって、星の巡りの関係で約二百年に一度ガチで神に通づるとかって王族に言い伝えられてきた眉唾モンの古の儀式を大々的に決行。
そこでアンタの嫁になれる女を望んだ。
一応、子はともかく時間だけでも稼ごうってんで仕込みはあったんだけど、結果、マジの奇跡が起こって、ド派手な演出かまして出てきたのが私。
さらに、私がその場で王子の手を取ったことで、受け入れの意思を示したと同時に、直に触れ合っても魔力的なアレの影響がないっぽいってのが簡易的に証明された。
これで、いくつかの問題が一手に解決したはずだったのに、まさかの私の知らぬ存ぜぬ主張のせいで、またデカい一難発生、と」
「……表現はともかく、概ねその通りだ」
指折り数えながら語り終えた彼女へ、ムスタバールが微妙な表情で頷きを返した。
緩い口調やガサツな所作に騙されがちだが、何だかんだと状況判断能力に長けている娘であるからして、今後の展開には多様な想像を巡らせていることだろうと王子は考える。
「オケ、把握。
私、マジで超ファインプレーだったんじゃんね」
「はいんぷ……?」
聞きなれぬ単語に美貌の青年は無駄に長い金色の睫毛を瞬かせた。
そんな彼を横目に、女は椅子の背もたれから半分ほどずり落ちた完全にだらけた姿勢を取って、ウダウダと天井に独り言を溢す。
「つーか、これじゃ、元の世界に帰してぇとか迂闊に言えんなぁ」
「それは……」
呟きを耳に止めた王子が、痛ましげに眉を寄せた。
本人から伝え聞く限りでは、高度に文明の発達した世界で至極平穏に暮らしていた女性であったのだ。
それを、自身の軽率な行いのせいで、見ず知らずの国の、さらに殺伐とした政争の中心地に思いきり巻き込むような立場で呼び寄せてしまったのというのだから、罪悪感は引きも切らなかった。
彼女の妙に達観した態度も、彼の胸の痛みに拍車をかけている。
「そなたには……在琉には、悪いことをした。
一番の望みは叶えてやれぬが、私に出来得る限りの便宜をはか……」
「まっ、来ちゃったもんはしょうがないやな。
とりま、するか。結婚」
「…………は?」
ペチリと自身の膝を叩いて軽々しく告げる女に、ムスタバールは言葉の途中で開いていた口をそのままに、呆然と身を固まらせた。
そんな王子へ、神の選びたもうた娘は、怪訝に顔面を歪ませる。
「は、って何。それで儀式したんでしょ?
我が花嫁ぇとかっつって、そっちだって大概その気だったじゃん。
それとも、私がこぉんなアッパラパーだって分かって、ご遠慮な気分ってワケ?」
「あっぱら……?
い、いや、遠慮など、そうではなく、在琉。
そなた、拉致同然に連れられた身で……そのような軽率な」
「何か文句あんの?」
上半身を屈めチンピラばりに下からメンチを切ってくる女に対し、彼は未熟な子を諭すかのような憂慮混じりの視線を向けた。
「自棄になっているのなら冷静になりなさい。
そなたも成熟した女人であれば、故郷に好いた男の一人や二人、いたのではないか?」
「……あ? 恋人いない歴イコール年齢ですけど?
いると思うか、この性格で。ケンカ売ってんのか。
ったく、顔面偏差値のお高い野郎はコレだから」
「いやいやいや、何故そうなる」
唾でも吐きそうな彼女の反応に、一方のムスタバールは焦るのみである。
言質を取ったと素直に喜んでおけば良いものを、むしろ、考え直せと言わんばかりの男の様子に、段々と可笑しくなってきたアリルの喉から思わずといった音が漏れた。
「ふははっ……あーあ、バルっちってイイ奴だよね」
「ば、ばるっち……?」
困惑する美丈夫へ、彼女は妙に余裕の表情を浮かべて、それまで手を付けずにいた生温い果実水を一気に呷った。
そして、杯を持ったままの手を己の太ももに強く叩き付けると同時に、怒涛のように言葉を紡ぎ出す。
「そりゃあ、アンタが余計なことしなけりゃーって胸ぐら引っ掴んで八つ当たりも出来っけどさ。
本当は仕込みの女がいたぐらいソッチも有り得ないって思ってたような不可抗力のことなワケじゃん。
だからって、元凶の神に殴り込みもかけらんないし?
したら、両親兄弟には悪いけど、まず帰ること自体ムリゲー極めてんのがリアルなトコっしょ。
現状聞かされたら、私がこのまんま流されんのが一番こう、多方面にとって色々都合良い系みたいだし。
幸い相手役の王子はハチャメチャにツラがいいから、生理的に無理ですゴメーンってこともないし。
ま、そりゃいきなり知らん国で結婚ってのにビビってないって言ったら嘘んなるけど、アンタは性格もマシそうだし、こんだけツラが良けりゃむしろ釣りも来るってーか、いや、本当、そのツラに産んでくれた両親に感謝しろよバルっち。
あー、しかし、改めてツラがいいなコイツ、マジ。腹立つ」
「はぁ……?」
褒められているのか、貶されているのか、非常に判断のつきにくい絡み方をされて、ムスタバールは僅かに眉尻を下げ、生返事を零した。
間違って酒でも入っていたかと水差しを確認するも、中身はやはり果実水で間違いない。
明らかに対応に困っている王子の姿が目に入っているのか、いないのか、アリルは更に語り続ける。
「あぁ、もちろん、贅沢だけしときゃいんじゃん、みたいな勘違いはしてないよ?
その王弟ってのとか元気な内は、私も、未来のマイベイビーたちも、極端な話、命とか狙われるかもだし?
王妃ともなりゃ、あんま想像つかないけど、何かしら仕事だってあるもんでしょ。
ってか、文化の違いを覚えるトコからだろうから、デタラメ大変だろうなってのは私でも分かる。
正直、クッソ面倒だよ? 面倒だけどさぁ?
仮に、何で私がーって部屋に閉じこもって何日とか何ヶ月とか、ひたすら嘆いてたとしてさぁ?
仮に、私、普通の女の子になりまぁすっつって、全部ブッチしてココから出て行ったりでもしてさぁ?
どうなるのっつったら、国ボロボロがアンサーでしょ?
ともすりゃあ、人とかメッチャ死にまくるんでしょ?
んなの、マッハでメンタル逝くっつーの。SAN値直葬だっつーの。
したら、もうさ、腹ぁ括るしかないじゃん。ねぇ?」
そこまで言って、彼女は己の杯に並々に果実水を注ぎ、それを一息に飲み干した。
ある種、自棄酒を呷るオッサンにも見える女の行為を、褐色美男子は沈痛な面持ちで眺めている。
「……すまぬ……言葉もない。
我がヌドァビナの問題に、無関係のそなたを巻き込むなど、本来あってはならぬこと。
それを……」
「まー、でも、いーのいーの、もー。許すっ。
バルっちのツラが良いから全部許す。許した。
圧倒的イケメン無罪。ヒューッ。さっすがだね。
顔面セーフの法則ってヤツだね。
遠くのお空のお母様、お父様、クソ兄貴共、私、立派なお嫁さんになります、パンパカパーンってなモンよ。
その無駄に上出来なツラを独占する価値に見合う程度の努力はさせてもらおうじゃあないのっ。
いよっ、幸せ者ぉーっ」
「っは……え……?」
杯を高く掲げながら雄々しく吠えるアリルと、完全に話についていけておらず当惑するばかりのムスタバール。
「って、ことで。不束者ですが、今後ともよろしく」
「…………………………………………あ、はい」
と、まぁ、そんなこんなで、聖国の第一王子はいまいち正気に戻れないまま、勢いに押される形で、無造作に目前に差し出された神の娘の小さな手を取ったのだった。
その後、つつがなくと言うには少々騒動も発生してはいたが、二人は早期の婚姻を果たし、当初の目的であるムスタバールの即位も無事叶って、一時、未来を危ぶまれたヌドァビナは、一転、長き繁栄の時を迎えたのである。
伝聞においては美しく慎ましやかで大層立派な神の娘、極々身内の間柄では愉快痛快破天荒トラブルメーカー王妃アリルは、その豊かな発想や知識、はたまた優しき心根で、公私共に彼の賢王の大いなる助けとなったと言われている。
また、王と王妃は身分ある男女としては稀に見る大層睦まじい夫婦として、ある種、恋愛成就や家庭円満の象徴として拝まれる存在となったとか、なっていないとか。
「ところで、在琉よ。例の儀式の日のことだがな」
「あぁ、はい。拉致トリップの日ね。なに?」
「そなた、私の顔の良さに免じて全て許す等と申しておったが」
「え。うんまぁ、バルのツラがいいのは公然の事実だし。
それが、なに」
「アレは、もしや、一目惚れの言い換え……」
「はあーーーーーーーッ!? ちっ違う違うし、そんなアレじゃないし! 違うし!
そんなめちゃくちゃカッコイイとか見惚れたりとか全然そんな話したら性格も花丸すぎて何だそれ最高好きとか考えてないし仕草もいちいち洗練されてて王子様が過ぎるでしょヤバい好き大好きとか全然思ってないしそんな照れ隠しで痛い態度取っちゃったとかそんなワケとかじゃないし全然惚れてないしツラがいいって別にホントにごく一般的な事実を言っただけでそんな好みすぎるとかキュンキュンくるとかじゃないし結婚できてマジ嬉しいとかないし知れば知るほど好きが増えてもうゾッコンすぎてヤバい神様ありがとうバルほんと好きとか全然考えてないし本当一目惚れとか有り得ないし違うし全然違うし全部バルの勘違いだからマジ二度と言うなぁっ!!」
「……あー…………愛い」
「やっ、ちょっ抱きしめるなぁーーーー!
うわマジ止めイイ匂いするイイ匂い止めろぉーーーーッ!」
「分かった分かった。私も好きだ、在琉」
「うわぁあああああああんっ、違うったらぁあああああ!」
何はともあれ、めでたし、めでたし。