ヘタレたちの長い午後(1)
茅野から連絡があったのは、それから二か月後、十二月の始まりになるころで、ぼくはセンター試験に向けた勉強で手一杯だった。
〈こんばんは、以前お借りした本を読み終えましたので、近いうちに会える日はありますでしょうか?〉
チャットの文面だけ見ると、礼儀正しさそのものだ。初対面のちぐはぐさとは、まるでかけ離れていると言っていい。
しかし、この文面が示しているのが、世間一般による彼女の評価そのものだった。
前島やその他の同輩に聞いてみた話によると、茅野志保という女子高生は「マジメでいい子」という評価だった。まあ考えてみれば、へんに着飾ることもないし、勉強はできそうだし、おとなしそうだし、なにより単純に見かけがそこそこよかった。ゆえに奇矯なことはしないだろう、みたいなイメージがそこかしこの証言から読み取れる。
だが、個人的な評価はべつだった。マイペースでやや自分の思考に閉ざされがち、自分の好き嫌いがわりとはっきりしていて、興味のあることに対してはやたらめったら猪突猛進である。あと、微妙に自分を卑下するタイプなので、なんというか、ほめても素直に受け取ってくれないところがある。
要するに、そこまで「いい子ちゃん」でもないのだ。
逆に、それが個人的には面白くて仕方がないのだが。
なので、連絡には早々に返事をしたのだった。
「すみません、受験期でお忙しいというのに」
「べつに気にせんでいいのに……」
ぼくたちは校門で待ち合わせ、近くのカフェで紅茶を飲みながらしゃべっていた。なかなかおしゃれな感じになっていたものの、茅野のぺこぺこした様子が、なにかをちぐはぐにしてしまっている。
「息抜きぐらいは必要なんだから、連絡はむしろありがたかったよ。ぶっちゃけ逃げ出したいぐらいだ」
「そんなにたいへんなんですか、受験?」
「ああいや、個人的な学力の問題だから」
とりあえず用件に入ろう、とあわてて言う。もう少し気の利いたことを言えないのか、と自分でも思うのだけど、残念ながらみずからの異性交遊経験の少なさが先だって、これ以上話そうとすると、陸に上がった魚みたいな声しか出てこなくなる。それはそれできもい。
茅野は自分のかばんから、本を二冊出した。そしてそのまま渡すと、どうもありがとうございました、と言う。それだけだとなんだか味気なさすぎるので、ぼくは、どうだった? と聞いた。しかしこれは嫌な質問だった。自分がされたら答えにくいと思う質問ナンバーワンなのだから。
だが、それが功を奏した。茅野は少しだけ考え込む。
最初は世界的な幻想文学賞を獲得したファンタジー小説で、幻獣とともに暮らす魔女のもとに赤ん坊が預けられるというストーリーだった。赤ん坊はじつはある王国の王子で、魔女は、彼と彼の国をめぐる騒乱に飲み込まれるという内容だった。
「そうですね……この本はオチがちょっと意外でした。あれだけの事件を起こしておきながら、魔女が帰っちゃうんだーて」
「驚きもののき?」
「さんしょのき、ですね」
茅野は少しだけ笑った。しかし、言ってからなんだけど、自分でも自分が何を言っているのかわからない。せめて笑いを取れたのが救いだった。苦笑だったかもしれない。
「もうひとつは?」と、なんとか接ぎ穂を足す。
「ああ、こちらですか」
茅野が指し示したのは、遠未来を舞台にしたSF小説だった。蝶のような美しいヒロインの表紙が印象的でもある。むかしある新人賞の選評で名が載っていたので、読んでみたらけっこうおもしろかった記憶がある。
「最後のイメージがきれいでしたね……」
「あー、とてもよくわかる」
なんというか、小学生に無理やり感想文でも書かせたような気分になる。むかし読書感想文は死ぬほど嫌いだったけど、課題にして読む側はこういう気分になるのではないか、と思うぐらいには、気まずい。
どうしよう。まじで。
「あ、そういえば」
と、そこで、茅野がとつぜん、もう一冊を取り出した。それは初対面の時におすすめした恋愛小説だった。
「これ、けっこうおもしろかったです」
「ん? ああ、そう」
「にやにやはしませんでしたけど」
「そうかあ。おれは、好きなんだけど」
「……先輩って、すごいへんですよね」
うるさい。お前には言われたくない。
「ていうか、それなら、茅野の書いた作品だって」
がたっと姿勢が崩れる音がした。茅野の読めない感情が少しだけ垣間見えた瞬間だった。




