文化祭の日(4)
うんざりするほど退屈な時間が過ぎたかと思えば、あっという間に時が経つ。まだ文化祭の日であることはさいわいだったけれども、こんな風に残りの高校生生活が通り過ぎてしまうのかと思うと、ゾッとしてしまう。
夕方だった。文化祭終了と後夜祭のアナウンスが入り、生徒たちは、ぞろぞろと校庭へと繰り出してゆく。そこには鉄パイプとベニヤ板で組み立てられた巨大なステージが君臨し、七日目の蝉のようにギャンギャンと、残された時間を燃やし尽くすのだ。
ぼくはその喧騒の中にいた。
どうしてそこにいたのかは聞かないでほしい。とりあえずいたのだ。そして軽音部の男臭い騒ぎと人混みに揉まれながら、頭の中を空っぽにしていたのである。
ただ、頭を空っぽにするには、あまりにもこの場所は向いていない。むしろ雑音しかない。俺たちの青春がー、とか、もっと熱くなろうぜー、などと意識の高いことをのたまう空間で、ぼく個人は、なにバカなこと言ってんだ、と斜に構えながら、端のほうで眺めているわけだ。そんなところでまともな思考が成り立つわけがない。
だからなのか、今日一日でさんざん頭になだれ込むのは、煩悩めいたものばかり。要するに、彼女作りたいのに作れない、というお定まりのアレだった。坐禅なら即アウト。そう茶化してないと正気を保てない。
「おや、これはこれはまたなんとも奇遇ですな」
上地だ。なんでこいつはこういうときばかりに現れるのだろうか。
とはいえ、溺れる者は藁にもすがり、悶える者は胡散臭い男に引っかかる。ぼくもそうだった。このとき上地という男が何かの手違いで菩薩に見えてしまったことは、生涯の恥だとあとあと思い返している。
「ああ、お前か」
「どうした、元気ないぞ? 猫でももふる?」
「え、いるの?」
「いるわけないじゃん。それはきっと心の中にあるんだよ」
「さすがに張り倒すぞ、お前」
わあわあ騒ぐステージを尻目に、ぼくたちふたりは校庭前にある花壇に腰かけた。見れば、ぼくたちのように賑わいに入れない人びとが、それぞれひっそりと座っているのがわかる。
「……なあ、」とこのとき、なにを思ったのか、ぼくはうっかり上地に相談を持ちかけた。「お前、彼女さんとは、なんつうか、どういういきさつでそうなったの?」
上地は、こういうとき、茶化さない。わりと真剣に考える。怪しい半眼で空を見つめてから、そうだなぁ、と言った。
「まあ、ひと言でいえば、趣味が合って、盛り上がって、ここはひとつ、交際関係でもいいよね、て合意が得られたってことなんだよね」
「なんだそれ」
「あまり参考にはならないと思うけど、わたしは、もともと喋りが得意ではなかった。けれども、訓練して直した人間なんだ。その経験からいうと、習うより慣れろ、としか言えない。要するに、慣れたわけだ」
「だいぶ飛躍してないか……」
「まあまあ、落ち着け。当社のご料金プランは最後までお聞きいただいて初めて納得がゆくサービスでございます」
ここでにやっと怪しい笑みを浮かべると、
「彼女の作り方は、しょうじきなところ、わからない。そんな必勝法なんて存在するわけがない。しかし、対人関係における、異性とのコミュニケーションだと考える場合、それは、喋りの問題だ。こいつ面白いな、てもっと話聞きたいな、ていう風になる。話を聞いてもらう、ここまで来るのが、わたしの遍歴だった」
ぼくは頷いた。なぜか、マジメな感じになった。
「恋愛とセールスは似ててさ、『面倒な手続きとかいりませんよー』『お得ですよー』『ちょっと楽しいですよー』って感じ。まあ、だから、そういうことだ」
「わかるような、わからないような」
「まあ要するに、そなたはコミュ力を上げるべきだね」
「うるせー。べつに話せてるからいいだろ」
「たしかに基礎力はあるけど、実戦経験だ足りなさすぎる。べつにそれでもいいというなら、止めぬ」
上地はそこで立ち上がる。
「まあ、もし本気なら、鍛えてしんぜよう。我が社のプランをぜひご検討お願いいたします」
こうしてさっさと彼は行ってしまった。なんていうか、雲か霞でも食べさせられた気分だった。
やがて音楽が止み、校庭の向こう側に花火が上がった。後夜祭はいよいよたけなわとなり、みなの雰囲気が昂りはじめるころ、ぼくは、ふと、人混みから外れるひとつの影を見た。それは、ぼくが知っている短いボブカット風の女子だった。
なんとなく立ち上がる。けれども、立ち上がった途端に我に返り、どうしてこんなことをしているのかと考える。そうこうしているうちに、その影は別の人混みの中に消え、ぼくはさっき見た残像を、ただ脳裏に焼き付けてばかりいたのだった。