文化祭の日(1)
あとがない、とかいろんなことを言ったくせに、時間というものは、残酷にも、早く過ぎてゆく。そう、気が付いたら、もう文化祭なのだった。
学校の名前が堂々と載った看板が校門に飾られて、その下を大勢の男女が行き交っている。老若男女問わず、さまざまな人種が、どやどや、がやがや、と喧騒を奏でながら、大行進を繰り広げるのだ。
ぼくは、その流れにうんざりしながら、クラスに向かう。人混みは苦手なので、これまでは、荷物を置いたらさっさとひと気の少ない四階に避難して、昼寝をし、時間をただ過ごして、なにもなかったかのように帰宅するのだ。今年も、しょうじき言うと、その予定に変更はない。
……そのはずだったのだが、ちょっとちがった。
原因は、茅野だった。妙に気になったのである。
〈そういえば、茅野って、作品を部誌に出したことあるの?〉
初対面の時に交換したチャットで、なんの脈絡もなく、ぶっきらぼうに、そう尋ねると、はい、という答えがあった。なんでも、今度の文化祭に出す内容に、むかし書いた作品を掲載しているらしい。ついでにいくばくか好きな小説や漫画のことを尋ねたが、有名な女流作家を偏愛していること以外は、漠とした情報だけで終わっていた。
これが二週間前のことである。ぼくはこの頼りない情報から、彼女の好きそうな物語を想像する。ファンタジーが書きたくて、どっちかというと文学好きで、けど、有名な女流作家のように心理的にゆっくり沈むような雰囲気が好みで……
そうやって条件を羅列していくうちに、ぼくは、ゆっくりと記憶の海に沈んでゆく。自分のかすかな読書体験をまさぐりながら、類似したイメージを引き当てるのだ。それは小学生の時にやるサツマイモ掘りに似ていて、ある根っこから次の根っこがつながるように、記憶が呼び覚まされる。
ぼくはそこから三つの作品を抜粋し、かばんに詰め込んで、書道部屋に向かった。その一角が、文芸部の販売コーナーなのだった。
店番の時間はすでに聞いてある。だから、茅野と再会するのになんの苦労も要らなかったのである。
「やあ、ひさしぶり」
「おひさしぶりです」
べつにたいして久しいわけでもない。にもかかわらず、なんとなく言ったことばに、律義に返してくるのは、ちょっとおかしかった。
茅野の隣りの女の子は(見知らぬ子だ。おそらく茅野の同学年である)、店番をしつつも前島と駄弁っている。ひと気の少ない四階では、しかも、その片隅にも等しい書道部屋では、もう、展示などあってないようなものだ。そこでは退屈を持て余した高校生たちが、好き勝手におしゃべりをするためにのみ空間が機能している。
「チャットで言ったやつ、持ってきたよ」
とりあえず用件を言うと、茅野は、ありがとうございます、とお辞儀をする。かしこまらなくていいから、大丈夫、とちぐはぐなことばを投げかけて、ぼくは、本を出す。出したのは、ある幻想文学賞を取った魔女の物語と、ファンタジックなSF小説と、近年名を挙げつつある作家の代表作だった。
すると、茅野は、最後のひとつを指さして、あ、これ、持ってます、と言った。共通の話題を見つけて喜んだというよりは、自分の得意分野がきた、と鼻を鳴らすオタクのようにも見えた。見かけはマジメ系なのだけど、ギャップ的に面白い。お、持ってるの、と反応すると、彼女は微笑みながら、
「好きなんですよー」
「そう、よかった。おれも好きな作家さんなんだ。デビュー作から追っかけている」
「そうなんですか!」
「うん。でも、知ってるなら、べつに大丈夫だね。これとこれは、知らない感じだから、おすすめしておくよ。読み終わったら連絡くれれば、取りに行くから」
「はい、ありがとうございます!」
なんか楽しそうだった。これは新発見なのだけど、茅野は歯を見せるように笑うのだった。
そのあとぼくたちはなんとなく雑談をした。内容を思い返すことができないくらいの、ささやかな会話で、好きな作家や作品について思い出語りでもするみたいな、淡い時間を過ごした。そうこうしているうちに形式だけのシフト時間が終わり、茅野は、女子女子した友達の中に消えていった。
「なんつうかさ」
と、そこに前島が声をかけてきた。彼女は次のシフトだった。
「奥村って、なんやかんや面倒見がイイよね」
なんかムカついたので、前島のあたまをにぎって振り回した。