文芸部のうざいやつ
翌日、ぼくはなんとなく、文芸部のほうに足を向けた。
まえに入ったのはいつごろだったのか……たしか、新入生歓迎号の原稿を書いたときだったはずだ。つまりそれは三月から四月にかけてのことで、茅野が入った時期は、まったくといっていいほど入れ違いになっているようだった。そりゃあ顔も知らないわけではあるものの、しかしいっぽうで、既視感めいたものがあったのも事実だった。
ただ、こちらの感覚は、あまりあてにはならない。なぜなら、ぼくは見も知らぬできごとを、思うより先に「懐かしい」と口走るような人間だったからだ。それは小説の中でだったらまだかわいいものであるけれども、例えば自分の生まれるよりもまえにできた映画や漫画の雰囲気を、そう言ってしまうと、途端に周囲の大人たちにからかいのタネを与えることになるのだ。
『へんな子ね、いま初めて見たのに』
ある古い映画を見て、そうぼやいたとき、母は失笑しながらこう言ったものだった。しかし、いかに訂正されたところで、この感覚は消えたことがなかった。ファンタジーゲームの広大な景色を見た時も、SF小説の情景を思い浮かべても、シュールレアリスムの絵画を見ても、自分が良いと思ったものにはどこかしら「懐かしい」という気持ちが沸き起こる。
もちろん、そうしたものは、見るのも聞くのも初めてだったのだけど、なんていうか、もう一回ここに来てもいいなという安らいだ感触が、するのである。これをマジメに話したところでたいがい、あたまのおかしい人間扱いを免れないのであるが、面白がって聞いてくれる人間も、またいた。
放課後の書道部屋。その扉の向こうに、そいつはいた。
「よっすー……あ、珍しいね」
前島遥。ぼくの同級生で、文芸部の部長。出席回数の多さから先輩たちに見込まれてその座に就いた彼女は、現在、文化祭に向けた部誌の編集作業に当たっていた。ひとりで机に向かってパソコンをカタカタやっているその様子は、なんというか、いかにもという感じである。
ぼくは、よお、というと、二の句が継げずに、無口に教室に入った。前島は、赤ぶちのメガネのすき間からぼくのことをのぞき込むと、してやったりという笑みを浮かべた。
「そのにやけ面、うぜえな」
「へっへっへ、さてはその様子だと、もうそっち来たんだね?」
「あたり。おかげさまで大変だったよ」
「ほんとう? やあ、困っちゃうねえ」
この野郎、と内心毒づいた。別に野郎ではないし、大和なでしこ仰天のきれいなロングヘアーなのだけど(そして重度のオタクなのだけど)、やっぱり、この野郎と言いつけてやりそうな、小憎らしさがあった。
これでヘアバンドみたいなアクセサリがあれば立派な「姫」というやつなのだが、あいにくとその辺はギリギリ、別枠である。私服はそこそこ気を遣うらしいが、まあ、可もなく不可もない感じに済ませているのを知っている。要するに、そこそこ奔放にやるためにそこそこコードを守るという、部長にしてはルーズで楽しい人種だった。
「んで、もう察しはついてると思うけど、茅野を誘導したのはおめえかよ」
「あー、そんなこともあったねえ」
「婆あじゃないんだからそこはしっかりしてくれよ」
「爺さんや、あたしゃさいきん物忘れが激しくてねえ」
ぼくは、とりあえず、無言で前島のあたまをつかんだ。
前島はわたわたと手を振りながら、ぼうりょくはんたーい、と文句をつける。しかし、それは全無視した。すると今度は、彼女は、ぼくの高身長をののしりはじめる。この巨人めーとか、ごぼうー、とか、じねんじょー、とか。
……おいまていまなんつった?
「痛い痛いっ! わるかったからもうやめれ!」
ぼくは仕方なく手を離した。次言ったら振り回すからな、と言うと、はいはい、と至極面倒くさそうに答えた。懲りないやつだ。このからかいぐせは、けっこうまえから直せと言っているのだけども。
「それで、なんだっけ」
「茅野志保。なんだっておれのところにあいつが来るんだよ。幽霊なのわかってたくせに」
「あー、うん。女子会でひとりだけ創作ガチそうだったから、奥村なら大丈夫だろー、て石井ちゃんと話振っといたのよ。それだけ」
「それだけ」
「うん。まさかダイレクトアタックするとは思わなかったね」
「せやな」
「そやろ?」
どや顔を決めるその顔がうざくて、もう一回あたまをつかんで、今度は振り回しておいた。