恋愛ってファンタジー
女の子は空から降ってはこない。
けれども、突然やってくることはある。
そういうことは、まあ、さっきのことを思い返せばわかるのだけれど、ちょっと理解に苦しむ出来事ではある。とはいえ、知り合いにはほんとうに空から降ってきた女の子(階段を滑らせて落ちたのだとか)を救った話があったりするし、やっぱり事実は小説よりも奇だなあ、なんて思っていると、図書室についた。すでに茅野は待っていた。
やあ、と声をかけると、茅野は、ぺこりと頭を下げた。何をいまさら、仰々しい。やっぱりへんなやつだった。
「じゃあとりあえず、あの辺の棚からはじめようか。基本的におれ以外手に取らないような、ほこりをかぶった本なんだけど……」
そう言って、ぼくたちは西洋史の本棚をあたった。司書のおばさんがにこにこしながら、今日はどうしたの、と聞いてきたのに対して、ちょっと調べものですよ、後輩が本を探すのを手伝ってやるんですと答える。するとおばさんはそのままにこにことしたまま、面倒見がいいね、と邪気のないことばを掛けてくれた。
茅野はその間、なんというか、心ここにあらずといった様子で、感情が読めなかった。必死そうというか、めいいっぱいというか、ぼく自身、声をかけるのがためらわれるような、そんな表情なのである。
だが、それはそれとして、ぼくが本の紹介をすると、ねこじゃらしを目の前にした猫のように飛びついた。その中にはちゃんと自分の目で読んだものも、飛ばし読みしたものも、書評だけ読んで読んだ気になったものも混じっていたが、聞いているほうはあんまり気にならなかったようだ。食らいつくような貪欲なひとみで、彼女は、話を聞き入っていたのだ。ぼくはちょっと怖くなった。
ただ、それからなんとなく、次の棚に向かう途中で、ぼくは文庫本のコーナーに向かった。ライトノベルの棚に賑わう下級生を尻目に、ぼくたちは進む。
しかし、そこでふと、茅野のすがたが見えなくなって、ぼくは慌てた。さして広くない図書室だったが、文庫コーナーは新書コーナーと融合して複雑に入り組んでいるので、かくれんぼするにはうってつけなのだ。そんなことをする生徒は、司書のおばさんの説教を受けるのが世の常なのだが、とにかく、ぼくはいったん戻るハメになったのだ。
すると、まあ、広くないのですぐに見つかった。茅野は、ある棚のまえでたたずんでいたのだ。そこはこの夏有名になった話題作の置き場だった。
「どうしたの」
「これ……先輩が持っていたやつですよね」
茅野が指さしたのは、たしかに、ぼくが昼休みに読んでいた恋愛小説だった。恋愛小説と言っていいのかはわからないけれども、大人が不倫して、苦しんで、結ばれたり、別れたりする短編集である。中には大学生が主人公のものもあったけど、生々しいし、大学生はぼくから見たら大人の部類だったからそういう感じでいい。
というようなことを茅野に伝えると、彼女は、複雑な顔をした。
「それって面白いんですか?」
これには答えに窮した。
「ああ、うん、まあね」
「にやにやもするんですか?」
「いや、それはたまたま面白かったから」
「恋愛小説って、みんな好きですよね。わたしもいちおう読むんですけど……」
ああ、なんだこれは。
「なんていうか、よくわからないんですよ。魅力が」
「ふうん」
「先輩なら、わかりますか?」
ぼくは首を振った。
「わからないのに、読むんですか?」
茅野は首をかしげる。
なんていうか、話しにくい相手だ。
「なんていうか……説明しにくいな。一言に恋愛小説っていっても、いろんな読み方がある。文学みたいに心理描写のうまさとかで読まれるようなものから、イケメンパラダイスや美少女天国みたいな読み方もあるわけだし」
とっさに思い付いた言葉がツボに入ったのか、茅野は笑った。
「なんですか、それ」
「でも、おれはなんというか、よくわからないな。いいなって思うから読むんだ。なんとなく、ね」
「へえ」
それから茅野は、ぐるりと周囲を見渡してから、こそっと耳打ちするような声で、言った。先輩って、カノジョいたことあるんですか、と。
ぼくは苦笑いで答えた。
「まったく残念ながら、ない」
それを、ふうん、と茅野は流した。それはそれでとても寂しかった。だが彼女はまるで気にした風もなく、その本を手に取って、これも借ります、と言った。
「……じつはさっき言った新作、恋愛もあるんですが、どうやって書いたらいいのか、わからないんですよ。その資料として、読んでみようと思います」
「ああ、そう」
「ほかに何かご存じないですか? 恋愛に関する資料」
「知るかよ。彼女いないって言ったろ……」
「それもそうでした。すみません」
こんな会話を経て、とりあえず、資料となりそうな歴史の本を紹介して、図書室をあとにした。
廊下に出た時、ふと、思い出したことがあって、茅野を呼び止めた。彼女は相変わらず必死そうな、感情が読めない表情でぼくのほうを見た。
「ファンタジーなんだよ、恋愛は」
茅野は、理解ができず、けげんそうな顔をした。
「ぼくにとって恋愛小説は、ファンタジーなの。だからきっと面白いと思うんだ」
付け加えると、彼女は微笑んでから、参考にします、とだけ言った。
まだまだ残暑が残る、秋の初めのころだった。