さよならだけが人生だった
大いに笑うといい。結局大学は第三志望校で落ち着いた。
一番でも二番でもない、三番目。これがぼくの人生だ。実を言うとぼくはさる国立大学を志望していて、そのために五教科七科目を勉強していたのだけど、面倒くさがりと甲斐性なしが同時多発的に混線した結果こうなった。母親ががんだった手前、浪人する経済力もなく、まあ贔屓目に見ても悪い大学ではなかったので、これがせいぜいと妥協せざるを得なかったのだ。
どうせ後悔するとわかっているなら、もっと真剣にやればよかったのに。
そんな自虐が脳裏をかすめるが、そうでなかったということは、なりたい自分など結局なかったということだ。できないことを誰かのせいにする痛い浪人生ブロガーなどを見かけることがあるが、それらは虚飾にまみれたいちじるしい自己悲劇化にほかならない。そんなごみにもならない愚痴をえんえんと垂れ流すぐらいなら、何もしなかった愚かな自分の記憶を背負って生きていく肚をくくるべきだ。
結果は結果だ。受け止めるよりほかにないのだ。
とはいえ、大学そのものは悪くない。思えばただの見栄っ張りで第一志望は決めたようなものだから、結果オーライだと考えても、いいのかもしれない。
やがて月日は経ち、卒業式がやってきた。
「うわー、入学したと思ったら卒業かよーないわー」
たいして愛着のないクラスメイト達がさんざん名残惜しそうに互いに声を掛け合い、アルバムを開きながら思い出に浸っているが、ぼくにはどうでもよかった。彼らはきっと楽しい高校時代を送ったのだろう。だが、ぼくはもともと誕生日だってこのかた祝う気になれない人間だった。だから卒業式なんて誕生日といっしょで、要するに、ただ年月が経ったことの証左でしかなかった。
振り返って懐かしむだけの思い出も、それほどないのだから。
「おいメガネ」
「あん?」
振り返ると、上地がいた。そういえば三年生の時はやたらとこいつの影がちらついていた気がする。
「おまえ、大学、どこになった?」
「え、ほら、お前と受けたあそこだけど」
すると、こいつは不気味な笑みを浮かべた。
「同じだな」
「は?」
「同じ大学になるな」
「えっ」
問いただす間もなく、上地は去っていった。相変わらずよくわからない人間だったが、こいつとの縁は切れないのだろうか。腐れ縁とはよく言ったものであるが、それにしてもこれはちょっといかがしたものか。
思い出はろくなものがないが、これからもろくなものがなさそうだった。まあしかし、飽きはしないだろう。そういうことにしておいたほうが、解釈の都合上たいへん楽だった。
かたちだけの卒業式とあいさつが終わり、ほころびかけた桜の木の下で写真を撮ったのが、春分の日の翌日だった。
学校生活が道路標識のように過ぎてゆく。個人的にそこにはなんの感慨もないのだけど、ある人種にはこれがとても愛おしく思えて、離れることが嫌だと言えるようなものになる。そういう意味では、愛校心など欠片もない。友愛も、恋愛も、情愛も、わずらわしくて切り捨ててきた。
さよならだけが人生だ、と誰かが言っていた。
だとしたら、もしかっこつけていいのなら、ぼくの人生はその場その場の縁を切っていくようなつまらない人生であると言っていい。
けれど身もふたもない言い方をするならば、めんどくさがりをこじらせただけのくだらない高二病患者だった。これがいつかどこかで治るのを期待するのは、よしておいたほうがいいだろう。
ところで、卒業式を終えたらたいてい、大学が始まるまで遊び惚けているか、次の年に向けて勉強しなおすかの二択を選ぶことになるのだが、このときぼくは遊ぶというほど遊ぶ気になれなくて、ただぼんやりと、趣味の文章創作にふけりながら、日々を過ごしていた。
何か大作を書きおおせようというのではない。ただ自分の記憶を素材とした、文字の羅列を物していた。それはなにもなかったと感じる青春時代への唯一の反抗であり、過ぎ去った時間に対する意味付けの、せめてもの供養でもあった。誰も人生をやり直すことはできない。高校生と言うまぶしい時間を無色透明にしなければならなかったぼく自身の思い出は、せめて虚構の中でぐらいなにかしらの色があったっていいはずだった。
その一環で、ふと、文芸部に顔でも出しておくか、と思い立った。なんとなく思い出したのである。これが三月の末、新入生歓迎用の部誌作成の会が行われる日のことであった。
部室は相変わらず書道部屋で、そこでは茅野がパソコンを開いて作業をしていた。これは思わぬ再会だった。ほんとうなら次期部長は、ぼくと茅野のあいだの代(つまり新三年生)がになうはずなのだから。
「あっ……おひさしぶりです」
相変わらず仰々しいお辞儀だった。
けれども彼女はどこか、おとなしくなっているようにも見えた。憑き物が取れたような、そういう印象。
「……ひさしぶり。元気してた?」
「ええ、まあ、はい」
そういう彼女は、なんだか元気がなさそうで、それがちょっと気がかりだったけれど、あんまり深くは尋ねないことにした。逆にどうしてここにいるのかを訊くと、前島以降の代は、部誌編集を二学年の共同作業で行うことになっていたらしい。いまの部長はほかの部員たちとポスターを貼りに出かけたので、とうぶん帰ってこないそうな。
「それにしても、寂びれてんのな。茅野は幽霊部員だって聞いてるけど」
「ええ、まあ、忙しいですから」
そういう声は淡々としていた。詳しく聞いておいたほうがいいかと迷ったが、止しておくことにした。別れ際の他人に深入りするのは、ちょっと良くないなと思ったからだ。
代わりにぼくは、紙出しされていた作品群のうちひとつを手に取り、茅野に声をかけた。
「どれ、誤字脱字チェックぐらいなら手伝ってやる」
「あ、そんな、卒業生の先輩に……」
「いいって。最後ぐらい、部活らしいことをしてもいいだろう」
そう答えて二、三の作品を読む。相変わらずうまいんだかへたなんだかよくわからない、高校生の文芸クオリティが横並びしているが、今回気にするのはあくまで誤字脱字なので、赤ペンを片手に流し作業でやっていく。
と、そのときだった。
「あの……」
「ん?」
茅野が、紙を持っていた。
「今度のには、わたし、書いてみました」
「おっ、まえに言ってたやつ?」
「いえ……ちがいますけど、読みます?」
「うん。ぜひぜひ」
そうして受け取った小説は、ページ換算で四ページ程度の、やっぱり短い断片のような中身だった。残酷なことを言えば、ストーリーらしいストーリーもない。ただ男女が入り乱れ、付かず離れずの群像を見せる。けれども、四季折々の感性が迸ったようなもの。
しょうじき作品として出来はよくない。だけど、ふしぎなことに、冒頭十数行で交わされる会話の鋭さに、妙に惹きつけられるものがあった。春先、ツバメの巣を見た少女が、それを都会の特権だよね、という。軒下にあるその光景が見られることを? と訊き返す一人称の主人公、しかし、少女はこう答える。
ツバメなんかに癒されていることが、と。
こんなセリフは、自分では書けないと思った。
素直にすごいと感じた。もっと読みたい。そう思った。
だから、そのことを思った通りに、目の前にいるはずの彼女に伝えようと、顔を上げたのだったが。
茅野は、そこにはいなかった。
「え……?」
ひゅう、と窓から風が吹いた。
春にしては肌寒いひと吹きだった。
ぼくはいまここで起こったことが信じられなくて、まばたきを数度する。しかし、ほおをつねっても、現実は変わらない。そこには誰もいないし、パソコンが放置されたままだった。
いったいどういうことだろう。そう思った矢先、にぎやかな声がやってきて、がらりと書道部屋のドアが開く。見れば、ひとつ下の松岡と、同じ代のゆかいな後輩たちだった。あ、先輩! 来るんだったら連絡くださいよー、と人懐っこい声をあげてやってくるこの男を前にして、ぼくは、うっかり、茅野は? と聞いてしまった。
「茅野? ああ、幽霊部員の?」
「ああ、さっきここにいたはずなんだけど」
「いや、作品は出してましたけど、今日は用事で来れないって聞いてます」
「……まじ?」
おたがいが奇妙なムードになっていた。
気まずい沈黙が流れる。それがなんだか気持ち悪くて、ぼくはあわててごまかした。
「ああ、いや、来ないならいいんだ。前に話したことがあったから、あいさつぐらいはしとこうかなって」
「先輩ってへんに律義ですよね」
「うるせっ」
松岡は苦笑していた。
ぼくはとりつくろうように、付け足した。
「あ、でもさ。新入生歓迎号、もらってもいい? 卒業記念に、さ」
「いいですよ。茅野の作品、気に入ったんですか?」
「あ、ばれた?」
鋭いなと思ったが、隠さないでおこう。
「なら、茅野もうれしいと思いますよ。だって、あいつ、新歓号に載ってる先輩の作品を読んで、この文芸部に決めたって言ってたらしいですから」
「え、そうなの?」
「逆に知らなかったんですか?」
「うん」
「へえ……」
なんだその視線は、と思ったが、声には出さないで置いた。まあ、これからも創作し続けるなら、いつかどこかで会えるかもしれない。その期待が、無色透明な記憶の中に、ほんのちょっぴりだけ桜色を付け足した。
「まあ、来ないならここで議論しても仕方ないな。みんなとも顔合わせられたし、おれ、もう帰るわ」
「えー、そんなあ!」
口先では文句を垂れていたが、松岡は快く送り出してくれた。なんやかんやでいいやつだから、これからの文芸部も大丈夫だろう、そういう前向きな気分になれたから、今日という日は、きっといい日なのだと感じられる。
「じゃあ、またいつか、どこかで!」
ぼくは無意識にそう言った。言ったそばから、さよならじゃないんだな、と自分を嘲笑った。別れを受け容れる度胸もなく、「もしや」と「ひょっとすると」のあいだで、まだあがこうとしている自分を見つけた気がして。
さよならだけが人生だ、と誰かが言っていた。
だとするなら、ぼくには「さよなら」という、人生の一端にすらたどり着けていなかったのだろう。
でも、もうちょっとだけ、この先であがくこともできるのではないか、と淡い期待だけを抱きつつ、これがまぼろしだったとしても、なんとか書いて残しておこうと、そう思ったのだった。
じゃあ、また今度。いつか会う日まで。




