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年始のカフェテリアにて

 その後、ぼくたちは近くのカフェで雑談に入った。入学してから何も変わらない、ただのやりとり。近況報告、趣味、創作論めいたもの。会った時から繰り返し繰り返し、飽きずに行われた文芸トークの数々だった。

 その中でも、さいきん読んだのは、奇遇(きぐう)にも恋愛小説についてだった。茅野にも紹介した恋愛小説、その同じ作者さんのもの。


 前島は恋愛小説を苦手としている。というよりも、少女漫画にありがちなべた甘な要素が苦手なのであって、恋愛やイケメンの要素が嫌いなわけではない。もっと言うなら、王道のストーリーの中に、当たり前のように入り込む恋愛要素、主人公とヒロインがくっつくという定式が気に入らないのだ。たしかに恋愛と暴力はハリウッドでも常用されるエンターテイメントの基本中の基本であったが、無批判に、たいした検討もなく盛り込まれるそれらは、退屈で、同じ前提を受け容れられないひとたちをはじき出してしまうのだ。

 その感覚は理解できる。小説を自分事のように読みたい人種にとって、あるいは、現実にすでに苦みを教え込まれた人間にとって、べた甘な恋愛小説はファンタジーと同義なのだった。どこにも存在しない、けれども、あってほしいという願望の塊。苦みを知ってもなお甘さを夢見る、少年少女の心を忘れない殊勝(しゅしょう)な人間はたくさんいるが、素直でひねくれた人間は、そうではない、現実と虚構の一致を要求するのである。


 王子さまは待っていても来ないもの。

 空から女の子は降ってこないもの。


 そんな、少しでも考えればごくごく当たり前のようにありえない(可能性が低い)と言えるようなものを、フィクションだからと肯定するか、否定するかの壁は大きい。これはたぶん、一生わかりあえない(たぐい)のものだ。


『あんな、これ言うとなんだけど、わたし、ほんとは小説嫌いなんよ』


 ある深夜のことだった。前島とチャットをしていたとき、その壁にぶつかった。


『小説にはまらなかったら、もう少しまともに生きれたんじゃないかって。まあ、ほんとはそんなことなくて、ただの逆恨みでしかないんだけど、フィクションにはまって信じている自分が、ときどき、ていうか、しょっちゅう嫌い』


 ぼくはその持論には賛同しかねた。だからたしかこう答えたと思う。それでも、虚構だから叶ってほしいものがあって、諦めなければ届くような気がする。それを信じるうちは幸せで、自分はそこに報いたいのだ、と。

 これを話したのはフラれたあとである。だが、決定的だった。フィクションを嘘だと信じたかったもの。フィクションが嘘でも信じたかったもの。この両者のあいだにはひらがな三文字以上の隔絶(かくぜつ)が存在して、それがぼくと前島の仲が良い以上に絶対的な溝として機能した。言い訳が欲しかったと言えばそれまでだったが、こればかりは仕様もない。


 今回ぼくが前島に話したのは、どちらかというと前島の好みには合っていたようだ。まあ、べた甘というよりは、激苦みたいな味付けなので、彼女なりに気に入ったのだろう。彼女も見かけによらず、面倒くさい恋愛遍歴を持っているのは長い付き合いだから、知っている。


 辛気臭い話になりかけた。

 だから、そろそろ話題を変える必要があった。


「そういえばさ、茅野ちゃんって結局どうしてるの?」


 こう話題を振ったのは前島だった。いちおう文芸部の後輩だから、心配でもしているのだろうか。ぼくはそうした裏のようなものを汲み取りつつも、素直に応じた。


「知らないよ。そんなに会ってないし。むしろ、お前のほうがよく知っていると思っていたんだけど」

「んや、ぜんぜん」

「おい」

「だって、そもそも部活来ないんだもん。校舎ちがうと生活圏ちがうしね」

「おい部長、それでも部長なのか」

「うちは代々来るもの拒まず、去るもの追わず、だからね」

「うわあ」


 さすがにそれはどうかと思う。が、半分まで口に出かかって、やめた。

 どうやら部長どころか、同じ部活の同級生からも、茅野志保という女子は正体不明な側面があるらしい。文化祭のときあれほど仲良くしていた(ように見えた)ひとたちがいったいなんだったのか誰も知らないし、たまにやってくると「そういえばひさしぶりだね」みたいになるらしい。それはそれで不自由な学校生活ではないだろうか。


「なにそれ、束縛の強い彼氏でもいんの?」

「さあ? ていうか、人付き合い自体がめんどくさそうな感じ。その子相手に、奥村もよくやってるよね。面倒見がよすぎっていうか。先生にでもなるつもり?」

「うるせいやい」


 これにはぐうの音も出ない。文芸部のクセが残っているだけなんだけど、他人にかかわっていい思い出がなかったのも、また事実である。前島にまとわりついたストーカーの退治とか、まあ、いろいろあったが、自分にとってプラスになったかと言われると、そうでもない。ただ苦労ばかり背負(しょ)っただけの、大馬鹿野郎みたいな日々しか送っていない。


「奥村はほんと、いいやつだからなー。わたしなんかとは釣り合わないって。わたしがうつになったとき、一緒にパニクってそうだし」

「いわれると反論できないからうざってえな」

「せやろせやろ?」

「そこ、どや顔で言わない」


 ところが、前島は、直後によけいなことを言った。


「だから、奥村は奥村なりの幸せを追えばいいと思うよ」


 しょうじき、これには答えに(きゅう)した。困惑とも、苦みとも、哀切ともちがう。全身がかっとなるような、こぶしをにぎりしめて叩きつけたくなるような、そういう。

 ああ、とぼくはため息を吐く。これは怒りだ。ぼくの、僕自身の生き方をそっけなく否定されたかのような、苛立ち。幸せなんてひとそれぞれのくせに、それを積極的に肯定しているような口ぶりで、にもかかわらずまるでぼく自身が幸せとは無縁の生き方をしているかのような断定形がちらついている。その口調が真剣にやさしさを帯びているからこそ、このことばの裏に隠された仮定が、ぼくのくすんだプライドを傷つけた。


 ふざけんな。ぼくが自分の幸せを追求してこなかったとでも、言いたいのか。ぼくの生き方をまちがっているとでも言いたいのか。たしかにまちがっているかもしれないと考えたことはある。数え切れないほど、えんえんと、自分の人生のこうなってしまった道筋を恨むことだって山ほどある。

 だが、それを否定してしまうことはできないのだ。どんな黒歴史も、どんな情けないオタクでも、それをしていたときがまちがいなく楽しくて苦しくて心地よかったんだということを、笑いごとにできないまま放り捨て、なかったことにすることはできないのだ。それが忘れられないから、今現在も似たような愚かしさと、縁が切れないままだというのに。


「……ほっといてくれ」


 ようやく、漏れ出るようにそういうと、ため息を吐いた。


 いっそこれが悪意の産物ならよかった。ならばぼくは彼女を罵倒し、さっさと帰れて気持ちがよかったことだろう。

 しかし、そうではないのだ。そのことばは善意の産物で、親友として心からのことばだから、傷つくし、腹が立つのだ。


 理解しろとは言わない。おそらく客観的に見たらアウトなのもわかる。だが、オブラートに包むぐらいのやさしさなら、言うだけ無駄なのだ。頭ごなしに否定してくれたほうがいっそはるかに、ましだと感じられる。


 だから、ぼくはせいいっぱいの反撃として、笑いながら、こういい返してやった。


「ああ、お前の言う通りだったよ。おれがお前と一緒になっても、たぶん、ろくなことにならない。それがわかって、ほんとうに、よかった」


 前島がそのときどう思ったのかは知らない。

 知りたくもなかった。


「だろー? わかってもらえてよかった」


 だから、彼女が笑いながら返したことばの裏にあるものを、ぼくはあえて見ずに、ただ耳だけで受け取った。

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