とつぜんの呼び出し
年が明けて、ぼくは駅前にいた。どうしてそんなところにいるかというと、それは昨晩のチャットにまでさかのぼる。
〈突然失礼。初詣一緒に行かない?〉
このなんともそっけないチャットの中身は、前島からのものだった。あまりに唐突な出来事だったので、何か裏があるのかと聞いてみたものの、単に女友達と都合が合わなかったから埋め合わせ的に呼ばれただけらしい。
とはいえ、センター試験前でストレスもあった。ちょうど息抜きにいいだろう、ということになって、ぼくはこの誘いに応じたのだった。
ところが、何かすれちがいでもあったのか、前島は予定より十分遅れる旨を連絡してきた。ぼくはあらかじめ計算していたより二十分早く到着していた。
つまり、三十分間寒い中でひとり、たたずんでいるわけである。
〈先に屋根のあるところで暖かくしてな。風邪をひいたらいけんわ〉
気遣いはありがたかったが、残念ながらこのあたりの屋根の下は、人混みか、若干高めのカフェしかない。どうせ三十分なら持ってきた小説を立ち読みするだけでしのげるだろう。そう思って、ぼくは、「だいじょうぶ、バカは風邪をひかないから」と返して、そのまま突っ立っていたのだった。
まあ、それからも「やせ我慢するなー」とか「こっちに気を遣わせるぐらいなら言うこと従えやー」などといろいろチャットでなじられたが、割愛しておく。
「いやー、お待たせお待たせ」
前島は相変わらずだった。とくだん着飾っているわけでもない、レディースのジーンズにやる気のないパーカーで、要するにすごくラフな格好だった。
それはこちらも同じで、そういえば意識していたころはもうちょっと見た目に気を払っていたし、慣れないワックスを髪につけていたときもあったが、それもなくなっていた。
なんともない、いたって普通の友人同士の再会。
ありきたりな受験経過と世間話、それから読んでいる小説やらマンガやらアニメやらの会話で盛り上がっていると、どうして自分はこの人物に正体を失うほどに焦がれたのか、わからなくなってくる。
そういえば前島に惚れたのはいつからだったろうか。
彼女とは出会った時から距離が近すぎていた。あまりに冗談やらなにやらで盛り上がりすぎていたから、周囲の同級生が「こいつら(ぼくと前島)付き合っているんじゃないか」と誤解したぐらいだ。あいにくストーカー未遂事件に関連してその疑惑は解かれたが、そのときはまだ、面倒だが面白い友人、ぐらいにしか認識していなかった。たしかに文芸部でえんえんと話し込んだり、たびたび食事をともにしたりと、遊びに行くときいつも一緒みたいなことになっていたが、べつに、だからと言って、まだそういう気持ちにはなっていなかったのである。
決定的だったのは、彼女が髪を伸ばし始めたころだっただろうか。
なんだ、しょせんフェチズムなのか、とあきれられるかもしれない。じっさいそれだけ書くとぼく自身もけげんな顔になってしまう。だけど、二年の春先、ショートヘアだった彼女が首のうなじにかかるぐらいに髪を伸ばしていたのを見たとたん、心臓の歯車が掛け違ったかのような脈動が、全身を貫いたのをよく憶えている。
もしかするとひとを好きになる文脈はすでにあって、それがついに起爆しただけなのかもしれないが、恋に落ちるという感覚は、きっとこういう、些細なことに過ぎないのだろう。とはいえ、現状を見れば結果は明らかである。親しい距離は友人としてのそれであって、男女のものではなかったのだ。
「奥村はさ、なにお祈りしたの?」
こういう風に尋ねる言葉には、なんの他意もない。あると見越す自意識は単に過剰なだけであり、それでもそういう風に思っていた時期が懐かしくもほろ苦い。
「ああ、うん。とりあえず受験受かってくれるといいなあって」
「そだねー。わたしもだわ」
「なりたいものなんてとくにねーしな」
「うんうん……ていうか、奥村はさ、やっぱり文学部なの?」
「ちげーよ、経済学部志望だ」
「え、まじで」
「まじで」
そんなに文学部に見えたのだろうか。
「いや、だってほら、小説好きそうだしさ」
「趣味一辺倒になったら自分の世界観狭くなるから、やなんだよな」
「なるほど……」
いまいちわかってもらえなかったらしい。
それはそうとして、そのままふたりで、なんとなくおみくじを引いてみた。この手の確率論めいたものが果たして自分の運命を左右しうるかどうかはさておき、やってみるのはおもしろそうだということだった。
「あー、小吉かー」前島は残念そうだった。
「いいんじゃない? 幸運の前借なんてしたら後が怖いし、無難が一番だろ」
「こういう人生の大事な時ほど、前借したいんだけどなあ」
「ふーん」
「奥村はどうなの?」
「あ、大吉」
「はあ? 信じられね!」
そのときぼくはおみくじの文面をざっくり見て、努力はおおむね実るとか、幸先良いことの書かれている中に、「待ち人来る」という一文を見つけた。果たしてぼくは誰を待っているのだろうか。待っていたってなにも起こりはしないのに。
そんなことを考えながら、神社を後にしたのだった。




