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「もしや」と「ひょっとすると」のあいだ(1)

 もし自分が恋愛小説の主人公だったなら。

 ときどき、こんなことを思う。


 そんなことを考えてなんになる、と思われるかもしれないが、仮にそうだったとしても、ぼくは失格だろう。かつてフラれたからだという、そんなちっぽけな理由じゃない。プライドがないわけではないけれど、断られるのが我慢ならないっていうわけじゃないからだ。

 じゃあ、なにがいけないのか?


「忘れられないんだよ」


 ぼくは、誰ともなく、ひとりごちる。


 十二月の、ある放課後だった。そろそろクリスマスが来るころだと思ったけれど、相手がいない身分にはどうでもいいことだった。そもそも受験生だ。いちゃつくことより大事なことがあるはずではないのか。

 しかし、その時期ぼくは体調を崩していた。もともと腹をこわしやすいほうなのだけど、この時期はてきめんに寒く、すっかり胃が張るような苦痛が、えんえんと続いていたのである。


 それを我慢して定期試験を終え、苦しみながら着いた帰路の途上、ぼくは、ふと、とめどのない回想に侵されていた。


『ほんとうのことを言うとね』


 こんなときに思い出すのが、前島にフラれた、しばらくあとのことばだというのが笑えてくる。


『わたしがごめんねってしたの、きみに頼ったり、愚痴を言ったら負担になっちゃうかもって思ったのも大きいの』


 あれはいつだったろう。たしか二年生の夏の終わりごろだったろうか。作品の下読みを頼んで、あれこれ感想で殴り合っていたときに、どういうわけか、そんな話になった。夢でも語っていたのかもしれないが、細かいことは忘れた。


『ときどき、ていうか、しょっちゅうだけど、わたしってさ、定期的に病んじゃうだよね。とつぜん頭が冴えて、自己嫌悪に陥って、もうヤダってなって……そんな中にきみを巻き込みたくないんだよ。奥村には幸せになってほしいし、わたしじゃ不幸にしちゃうなーって。だってほら、奥村のうちっていろいろ厳しいんでしょ? 親の愚痴とか聞いてるし、そんな中にわたしまで足したくないよ……』


 もし、もしだけど、このときぼくに少しばかりの男気と度胸とやさしさがあれば、前島の心をつかむことができたのかもしれない。けれども、彼女のことばを否定することはできなかった。あまりにも正論で、あまりにも現実的で、至極まっとうなことばに聞こえてしまったからだ。


 たしかにぼくの家族は、ちょっと厳しい。『妖精の子』の中でもちょっこし拝借したぐらいだ。成績なんて気にしないと言いながら、点数が低いとえんえんと文句を垂れるし、自由に生きなさいと言いながら、進路については微妙にとやかく言う。いっそ極端になってくれればよかったのに、と思うぐらいに偽善と偽悪にまみれてすらいる。

 とくに中三のとき母親ががんになってから(いまはかなり落ち着いている)、やたらとぼくに話しかけるようになっていた。死ぬことを念頭に置いているのかもしれない。ただ、ほっといてほしい時間帯にもさかんに新聞紙だのSNSの話題を持ちかけてくるのは、さすがにうっとおしい。


 けれども、こんな愚痴を家の中で吐くわけにもいかない。親しい友人にもそこまで言うことはない。こういうところに溜まったうっぷんが、ときとして作品に発露するとウケがいいのはわかっているけれど、しょうじきあんまりいい気分はしないものだ。

 前島には、作品周りでふだんからわりとその手のことを喋っていた。だから、それを言い訳に出されたら、ぼくはもう、なにも言うことがない。


 ただ、ちょっと卑怯だとも思った。


『わたしよりもいいひとはいるから、わたしのことは忘れてよ』


 その中途半端なやさしさが、忘れられなくて、嫌なのだ。忘れて、なかったことにして、それで仲良しこよしのおともだちに戻ろうだなんて、甘いきれいごとで済ませようって、そんなのあまりにもナンセンスだ。


 よく、女の恋愛は上書き保存と言われているが、その塗りつぶされた記憶の層に、ぼくは残ることができたのだろうか? ひょっとすると彼女にとって自分は通りから見た風景の一角に過ぎなくて、通り過ぎたらそれで終わりの間柄なのかもしれない。そんな心理があるということは、女性目線の恋愛小説なんかを読んでいると、残念ながら、妄想として浮かび上がってくるものだ。

 だとしたら、ぼくはなんて間抜けな青春の道化だろう。思い出にもならない時間を無為に過ごし、傷だらけになりながら、我慢強く勉強しかしてこなかった、自分の人生を恨みたくなるのも当然ではないのか。


 安心しろ、女の子は星の数ほどいるから、と慰められたこともある。ただ、そんなことを言ったぼくの知人に、いまならはっきりと言えることがある。


 ひとりだけだと思ったから、恋に落ちたんだろ、と。

 つまり、そういうことなのだ。

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