なんか来た
「自分ごとではないはずなのに、どうして他人の恋愛なんて面白がっていられるんですか?」
そう尋ねられたとき、ぼくは、うかつにも、恋愛小説の背表紙を隠しもせず、堂々とにやけながら、読んでいたのである。どこにでもあるようなお涙頂戴なお話でないことが唯一の救いだったけれども、そんな救いは、砂漠の真ん中でスプーンひとさじの水をお情けでもらったようなもので、要するに、たいして意味がなかった。
ぼくが変態に見えるのは、結局変わらないのだから。
文面から顔を上げると、見知らぬ女子がいた。襟のリボンの色から、一年生だということは分かったけれども、だからといって、面識があるわけではない。
なんとなく、相手の顔を見る。
すると向こうもまじまじと見返した。
ふつう、いきなりこんな風に接近されると、思春期の男子高校生にありがちなドギマギが、心臓にはっきりと現れるのだけれど、いまのぼくには何とも言えない微妙な感覚が頭の隅っこにひっかかっていた。たぶん遠目で見たらかわいいな、て思うぐらいには見かけもよくて、品行方正っぽい雰囲気も帯びているから、きっと好感度も高かったのだけど、そして、いまも冷静になりながらそう感じちゃったりしているのだけれど、それ以上に、変な奴、て感想が、その子の印象をかたちづくってしまった。
ただボブカットめいた短い髪が、妙に印象に残った。
「ええと、どちら様?」
「あ、えっと、後輩です」
「うん。見ればわかるよ。そうじゃなくて」
「文芸部の、後輩です」
「はい?」
「半年前に入ってきたんですけど、先輩ずっと幽霊で、ぜんぜん来ないから、ご存じなかったんだと思います」
彼女の言ったことは事実だ。というか、言われるまで自分が文芸部にいたことを忘れていたぐらいに、ぼくは幽霊部員だった。ただ本が好きというだけで入ったクラブ活動で、それもいつしか面倒くさくなって、辞めるとかいうのも煩わしいのでほっぽいたやつだった。
そんな存在感が希薄な先輩に、わざわざ会いに来たこの後輩は、いったいなんなのだろうか。しかも、第一声が、あれである。
「……で、何の用?」
「資料とか、教えてほしいんです」
「はい?」
「なんか、このあいだ前島先輩に聞いたら、奥村先輩が詳しいって。文学とか専門書とか、いろいろ読んでいると伺ってます」
あの野郎、とぼくは内心毒づいたけど、前島遥という同級生は、女子だったし、文芸部の部長でもあった。一緒に部活をすることなんてまるでなくなっていたけれど、ときたますれ違えば、世間話をするぐらいには交流があった。
そういえば……と、ぼくは思い出す。このあいだメーリスで女子会のお知らせとかやっていたな。あのときだろうか。たぶん、そのときになにかのまちがいで、ぼくの名前が出たにちがいない。ふざけたり、コイバナとかに花を咲かせるはずの場に、自分の名前が出ること自体、おかしなことだったのだけど、とは言っても、文芸部に入りたてのころの自分を思い出して、前島が冗談交じりにネタにしててもおかしくはないな、とひとり合点していた。
要するに、ぼくが文芸部にいたころは、物知りさんみたいな感じで通っていたのは、まちがいないのである。
「あー、うん、まあ、そうだけど」
「なので、教えてください」
顔は無邪気な子供のように輝いていた。
でも有無を言わさない口調だった。
ええ……と言いよどんでから、いちおう、
「どんな話が書きたいの?」と聞くと、
「ファンタジー小説です。中世ヨーロッパの資料が欲しいんですけど」
困ったことに、専門外だった。
「あーうん、おれはその辺、詳しくないんだけど、どんな内容なの?」
するとその子は、きょとんとしたように、我に返って、しばらく考え込む。
ちょっと待ってくれ。さっきまでの質問で資料が出てくるなんで本気で思っていたのか? だとしたら、ぼくは超優秀な検索エンジンかなにかだと思われていたことになる。
あの野郎……、と本日二度目の、野郎ではない野郎を呪った。前島はいったい、どんなことをこの子に吹き込んだのだ。
「えっと、」と後輩が話し出したので、ぼくは考えるのをやめた。「騎士と魔女が旅をするお話なんです。でも、中世ヨーロッパの空気感とか、生活感とかがわからなくて……」
なんだ、やればできるじゃないか。
「ああ、そういうことね。いや、おれも詳しくはないんだけど、そこまで絞れているなら、話が進めやすい」
そう言って、ぼくは、知っている限りの歴史の本を挙げてみた。そのうち何冊かは学校の図書室にあったので、紹介しておくよ、放課後ヒマ? と聞いてみる。はい、大丈夫です、と答えがあって、なら、放課後図書室まえで、と言うと、その子はまるで水を得た魚のように生き生きとした表情で、はい! と返事をしたのだった。
ところで……、と、別れ際に、その子がしおらしくなったので、どうしたのかと尋ねると、とつぜん、彼女は、茅野志保です、と自分の名前を名乗った。
「自己紹介、するタイミング、逃しちゃって。その、すみませんでした」
そこでぼくはあらためて、変な奴、という印象を、より強く残したのだった。