1.悪魔の槍
コンビニにお昼を買いに行く途中、一匹の悪魔に出会った。
悪魔は僕をじっと見ていた。
「・・・・やあ」
その悪魔は、悪魔的な羽を持ち、悪魔的な槍を持ち、悪魔的な笑い方をした。
どこからどう見ても悪魔だった。
特殊なメイクや衣装で、悪魔を装っている様には見えない。
「やあ」
悪魔はもう一度口を開き僕を見た。
「ど、どうも」
つられて僕も挨拶を返す。
「いい天気だね」
悪魔はコンビニの立て看板に腰掛けながら、空を指差した。
確かに気持ちのいい小春日和だった。およそ悪魔に似つかわしくない雲一つない快晴だった。
「そ、そうですね・・・」
僕はあいまいにうなずいた。
「君は・・・私の存在を疑っている。あるいは不可解に思っている」
悪魔はふうっとため息をつくと、背中の大きな羽をバサッと2度はばたかせた。
少し湿ったカビ臭い風が、僕の髪を揺らす。
「うん、確かにこんな小春日和のうららかな午後に、私のような悪魔は似ても似つかない」
「はあ・・・」
僕はふたたびあいまいにうなずいた。うなずくしかなかった。
「照りつける日光のせいで、目はチクチク痛むし、肌はヒリヒリする。見ろ、たった数分で軽い低温やけどの症状を呈している」
「そうっすか・・・」
僕は返答に困って、頭をぼりぼりと掻いた。掻くしかなかった。
「何よりここには悪魔の唯一の友とも言える闇がない」
確かに悪魔は、この陽気の下で、どことなく弱っているように見えた。
もし真夜中に悪魔に出会っていたら、僕は全速力で逃げていただろう。
でも、真昼間の悪魔は現実味がなく、そして恐怖心を刺激しない。
「あの・・・」
僕が口を開きかけると、悪魔が片手を前に出して制した。
「わかっている。君は私がどうしてこんなところにいるのか、聞きたいのだろう?」
「う、うん、まあ・・・」
「悪魔にも色々と事情があるのだよ。人間には人間の事情があるようにね」
「そうっすか・・・」
僕が歯切れの悪い返事をすると、悪魔はうんうん、と二度うなづいた。
「さて本題に入ろう」
悪魔は深いため息をつくと、半月型の瞳で僕を見た。
「なぜ私がこんな――」
そこまで悪魔が話しかけた時、向い側から高校生のグループがやってきた。
男女混合のいかにもウチらクラスの中心グループです、というオーラを周囲にまき散らしていた。
僕は彼らが悪魔を目にして、どう反応するかじっと観察した。
どうせ0.5秒くらいの反応速度でツイッターにあげるに違いない。
しかし、予想に反して高校生たちは楽しそうに話しながら、僕らの前を通り過ぎた。何事もなかったかのように。
通り過ぎた瞬間、グループのひとりが僕のことをチラリと見たが、すぐに視線を戻し、去って行った。
「さて、なぜ私が――」
悪魔が口を開きかけたとき、今度は僕が悪魔の話を制した。
「あの、話の途中悪いんすけど」
「・・・・なんだね」
「あの、なんていうか、あなたは僕にしか見えないんですか?」
「ああ・・・そうか、それは当然の疑問だな。うん、至極当然の疑問だ」
悪魔はひとしきりうなずくと口を開いた。
「私は君にしか見えない。より正確に言うと、見えないというより君にしか見せてないのだ、私の姿を」
「へえ、そうなんだ」
「・・・ずいぶんとあっさり納得したようだな」
「まあ悪魔がそう言うんだから、そうなんだろうなって思ったわけです」
「君は何と言うか、適応能力が半端ないな。やはり君を選んで正解だったようだ」
「まあ、新しい環境には、すぐに馴染む方です」
「素晴らしい、大変素晴らしい」
悪魔は両手を空中に掲げると「ブラボー」と湿った拍手を送った。
「で、続きをどうぞ」
「ああ、そうだった。なぜ私がこんなところにいるかと言うとだな、つまり――」
悪魔がそこまで口したとき、甲高いブレーキ音が響いてきた。
反射的に音の方を振り向くと、1台のトラックが見えた。
トラックは一直線に僕らのほうへ突っ込んできた。
一瞬の出来事だった。
トラックは僕の目の前で、悪魔を空き缶のように弾き飛ばした。悪魔は数十メートル吹っ飛び、自転車置き場にハデにめりこんだ。
トラックはスピードをゆるめることなく、轟音を響かせながらそのままコンビニへと突っ込んだ。
しばらくその光景をぼんやりと眺めた後、僕はゆっくりと尻もちを付いた。
さきほどの大学生たちがうわっと声を上げ、呆然と煙を立てて大破したトラックとコンビニを見ている。
そして、全員が寸分たがわぬ動作でスマートフォンを取り出し、シャッターを切り始めた。
「なんて日だ・・・」
僕はそうつぶやきながら、怪我をしていないか体の隅々まで確かめた。
別にどこも痛まないし、体だって自由に動かせた。どうやら無事だったようだ。
「あ、そうだ、さっきの悪魔・・・」
あたりをぐるりと見回すと、自転車の車輪のすきまから悪魔の黒い羽が見えた。
「私の・・・槍は・・・」
近くまで寄ると悪魔は僕を見ながら、震える手を伸ばした。
悪魔の両目と口から、紫色の血がゆっくりとあふれ出していた。
「槍?」
「私の槍を・・・槍を・・・」
ふたたびあたりをぐるりと見渡すと、悪魔の槍は歩道の隅にひっそりと転がっていた。
僕は槍のそばまで行き、手に取った。悪魔の槍はずしりと重く、そしてひやりと冷たかった。ずっと握っていると体の芯まで冷えそうだ。
僕は急いで悪魔のもとまで行き、その槍を手渡した。
「あり・・がとう」
悪魔は満足げにそうつぶやくと、瞳を閉じた。そして、ぴくりとも動かなくなった。
遠くからパトカーのサイレンが聞こえてきた。
ややこしいことに巻き込まれるのはご免だった。僕は速足で元来た道を戻り始めた。
最後に後ろを振り返ると、自転車置き場から折れ曲がった悪魔の羽が見えた。
羽を覆っている体毛が、風にそよそよと揺れ、春の日差しにきらりと白く光った。
元来た道を戻りながら、僕はなんだか無性に悲しくなった。
やはり悪魔はこんな小春日和の昼間に、出てくるべきじゃなかったのだ。
ヒトやモノにはそれぞれに適した時間や場所というものがあるのだ。
僕はなんだかやりきれない気持ちになり、悪魔の槍で冷え切った掌をごしごしこすって温めた。