その頃、あの国は霧に閉ざされていました
マイケルの自己紹介の後、テーブルはなんとも微妙な雰囲気に包まれた。
魔法と科学の両輪によって支えられ、平和を享受しているヤマトリアル連邦。勿論努力をして平和を保っている訳だが、目下混乱中の国から亡命してきた人の前では、なんとなく申し訳ない気持ちなのである。
「気にしないでください。ここでの勤奉が終わったら、私もあなた達と同じ国の人ですから」
言葉だけでなく、気配りの精神までアメリカ人離れしている。これならうまくやっていけそうだと裕太は思った。
「それにまだアメリカはマシな方です。奴隷にされたり、閉じ込められたりするよりは」
ヤードゥによる奴隷支配の拡大に怯えているのがヨーロッパや中近東であるが、ユーラシア大陸にはもう一つ頭の痛い問題が存在した。それが閉じ込められた中国である。
現在、中国の領土の大半と朝鮮半島は深い霧に覆われていて、外から内部を窺い知ることは出来ない。ただの霧ではなく、どうやら魔法による結界の一種らしく、科学的なものから魔法的なものまで、一切の探査を受け入れないのだ。
中国に隣接する国々、金融大崩壊時に中国の没落に巻き込まれ無いように独立宣言した香港や、インドやベトナムやロシアなどは、国境を遮る霧の向こうへ何度か探索隊を送ったが、その全てが失敗に終わっている。
その霧が魔法的なものであることから、当然コフュースからの影響だと考えられているが、そもそも中国を霧で覆う意味もわからないし、魔力が枯渇している地球でそれだけの結界が維持できているのも謎だった。
ただコフュースの誰かが関与ているとすれば、一番あやしいのは位置的にテンク皇国である。
通常は好きなところへ移動できる転移魔法だが、地球とコフュース間の転移については、位置的な制約が存在する。
例えば梅田からコフュースに転移すると、必ずトリアルの港湾都市タタルタに出現する。タタルタから西に百キロ移動して地球へ転移すると、梅田の西に百キロの位置へ現れる。
このように、地球とコフュース間の転移では、それぞれ対応する位置でしかつながっていないのだ。
ヤードゥの首都は地球的な位置だと地中海に存在し、ポメール島からそう離れていない。だからポメール島で問題があった時に、ヤードゥが真っ先に疑われたのである。
そしてテンク皇国は、その国土の一部が中国と重なっている。中国で魔法的な問題が発生したのなら、第一容疑者に挙げられるのも仕方がない。
しかしその後の調査で実際に姿を確認されたヤードゥと違って、テンクの方は確たる証拠が全くない。結局、何もわからないままなのである。
何もわからないのであるが、今のところ放置してても害はないし、特に打つ手もないので、積極的に何かしようという話にもなっていない。
謎は謎のままで、今日も放置されたままだ。
ちなみにアメリカとオーストラリアは、コフュース側ではほぼ海になっている。フランスのようにコフュースからの直接の侵略を心配する必要がないかわりに、ヤマトリアルのような恩恵も受けられない。
「うんまあ、私達はヤマトリアル人で良かったってことよね」
シノのそんな言葉で、新人歓迎昼食会はなんとなくお開きになった。
四畳半程度の広さに、備え付けのベッドと机とクローゼット。トイレと風呂は共同で、窓からは梅田のビル街が見渡せる。
それが裕太がこれからの三週間を過ごす部屋の全容だった。六階建ての公務員宿舎の一室でる。
「田上裕太さん、山辺健一さんからご連絡です」
部屋のナビの呼び出しに、裕太はベッドの上で飛び起きた。
昼過ぎに部屋に案内されて、いつの間にか眠ってしまったらしい。昨日の夜に山形から夜行列車で出発し、梅田についてすぐダンジョンで戦闘し、昼にたらふく食べたその後である。
疲れと満腹感が、あっという間に睡魔を呼び込んだのだろう。
「なに?」
ナビに尋ねると、
「お食事のお誘いです。どうしますか?」
時計を見ると、もう夕方だ。時間を確認した途端、空腹を感じる裕太。
昼にたくさん食べても、まだ育ち盛りで食べ盛りなのである。
「いくよ。誘ってくれてありがとうって伝えておいて」
「わかりました」
正直、まだよく知らない人と一緒になるのはちょっと苦手である。でも初日から一人寂しく食事をするのも寂しいと思うのが裕太であった。
裕太が返事をしてから一分と立たないうちに、部屋の扉がノックされる。
「よう」
扉を開くと、健一だった。彼も同じ宿舎で、裕太の階より一つ上の部屋だが、それにしても早い。
「メシ、どうする? 下の食堂でも食べれるらしいけど、せっかくだから外に食べにいかん?」
「ああ、いいね。でも僕、この辺のことよく知らないんだけど・・・」
「大丈夫。大阪来たら行きたいとこ、全部調べてきたから!」
健一が手にしたリストをヒラヒラさせる。
お好み焼き、串かつ、ラーメン、エトセトラエトセトラ。色々な店が網羅されていて、三週間あっても全部回れそうにない分量だ。彼がこれからの三週間に寄せた期待が溢れ出している。
「うわぁ、逆に悩む・・・」
「せっかく大阪なんだから、まずはお好み焼きにしないか? ちょうど近くにいい店があるんだ」
どうやら健一も、その体格に似合わず一人で食事をするのは寂しいタイプらしい。何となく親近感を覚える裕太。
こうして二人はささやかな冒険に出発した。
初めての街での旅行気分の生活、これもまた勤奉の醍醐味の一つであった。