欧米は大変なことになってます
さて自己紹介もようやく最後の一人である。
「私の名前は、マイケル・スタンソン。今年で二十一になります。東アメリカから亡命してきて、市民資格を得るために勤奉しにきました」
裕太には西欧人の見た目がよくわからないので大人びた人だなぁ程度に思っていたが、マイケルはマジに大人だった。ただヤマトリアルでは単純に年齢だけで成人しみなされる訳ではなく、果たすべき義務を果たしていないと市民権は得られない。だから大人でも勤奉しないと駄目なのだ。
ちなみに亡命者を勤奉させるのは、その国の風土に馴染めるかどうかのお試し期間的な側面があり、必要な時間は各人の経歴によって異なるが、最大でも二百時間と未成年の勤奉時間よりずっと短い。
「東アメリカってどっちやったけ?」
「ほら、核を撃ち込まれた方だよ」
奈々美と健一がぼそぼそと確認しているが、周りから丸聞こえで、マイケルも苦笑していた。
それに気づいて、二人は気まずそうに肩をすくめる。裕太まで何か申し訳ない気分になって、同じようにうなだれた。
かつては栄華を誇っていたアメリカも、今は東と西に分かれて睨み合っている。
何故そんなことになってしまったのか、ここで解説しておこう。
大阪はトリアル国とのゲートが開いたが、コフュースには他にも当然国がある。
一番大きいのがヤードゥ神国で、その次がテンク皇国。トリアルは三番目の大国で、規模としてはヤードゥの半分程度だ。そして唯一の民主主義国家でもある。
ヤードゥとのゲートが開いたのが、フランスのマルセイユ沖のポメール島だったと言われている。
梅田が百メートル級ドラゴンによって壊滅的打撃を受けていた頃、フランスではポメール島と連絡が取れないと騒ぎになっていた。連絡の取れない地域は時間と共に広がり、その調査に出た人達すら誰も戻ってこず次々と消息を絶った。
そして三日後、ポメール島から続々と人々が出発し、彼らが通った土地とも連絡が次々と途絶え、やがてマルセイユ全体が音信不通になった。
初めは当然テロが疑われたが、上空からの偵察では破壊の後は微塵も発見されず、次に何らかの疫病のパンデミックが噂されたが、無人機の偵察では街中に倒れている人など一人もおらず、むしろ住人が整然と行動している様子が捉えられただけだった。
それでいて外部からはまったく連絡が取れない。マルセイユの住人に電話をしても誰も取らず、メールをしても返事は来ず、住人や旅行者のSNSも更新されない。そして不用意に近づくと消息不明になる。
この事態にヨーロッパはパニックに陥いった。本格的に軍隊が調査に差し向けられたが、当然のように彼らとの連絡も途絶え、かと思うと何事もなかったかのように出発したベース基地に帰還して、更にそのベース基地との連絡が途絶える有様だった。
梅田のトリアル人はこの状態をヤードゥ神国の仕業では無いかと推測し、彼らと同盟を結んだ当時の大阪府知事を通じて、直ちにその情報が世界へと発信された。
魔法師は、魔法に耐性のない生物を使い魔として使役することが出来る。当然それは人間に対しても可能だ。
魔法を発現させる手っ取り早い方法は、呪文を唱えることである。呪文を組み立てるには最低でも数千の表意文字と、それとは独立した表音文字が必要だ。これを日常的に用いることが、魔法を習得する基礎となる。
つまり表意文字や表音文字だけの言葉・・・いわゆる下級言語しか使わない人々は魔法の素質が鍛えられることもなく、魔力的に劣った存在となる。
これを利用して一部の魔法師が多くの人々を使い魔として使役するのが魔隷制度で、ヤードゥとテンクはその人口の99%を使い魔、つまり奴隷として育成し使役していた。使い魔の子として生まれた人間には下級言語しか教えられず、その生涯を魔法師の忠実な奴隷として過ごすことになる。究極の階級社会なのである。
つまり魔法師にしてみれば、下級言語しか普及していないヨーロッパなど、奴隷候補の宝庫でしかないのだ。
様々な観測からこのトリアル人の推測は裏付けられ、パニックは更に狂乱を増した。魔法によって自意識を失い、誰かの意のままに操られるなど悪質なB級映画以上の悪夢である。
しかもヤードゥの支配階級である魔法師は、長い耳こそトリアル人と同じだが、それ以外の外観的特徴は地球のアフリカ系の人達に酷似していた。それが一層ヨーロッパの人達を嫌悪させていたという。
その恐怖が引き金となったのか、地中海を恐ろしい戦火が襲った。
ヤードゥの本拠があると思われるポメール島に、イギリスとアメリカの連合艦隊が問答無用で爆撃を加えたのだ。近づけば取り込まれるので、遥か上空から敵を焼き尽くそうという魂胆である。
当然、元からいた島の住民の安全など保証されるわけがない。
アメリカは好戦的で短絡的な大統領を抱えていたし、イギリスもEU離脱の余波で揺れ動いていた時期である。更に当事者であるフランス政府が既に機能していなかったという説もある。
どういう経緯でこの暴挙が決定されたのか、今となっては藪の中だ。
あまりの力技に初めは非難の声も上がったが、連絡が途絶えていた場所で次々と住人たちが元通りになるという現象に、それらの非難もあっという間にかき消され、人々の多くが更なる攻撃を支持した。
事態が急変したのは、三度目の爆撃部隊が艦隊に帰還した時のことである。
帰還部隊を迎えた艦隊からの連絡があっという間に途絶えたかと思うと、補給を終えたばかりの攻撃機がすぐさま飛び立ち、地中海に入ってきたばかりの増援の艦隊に襲いかかって、これを瞬く間に殲滅した。この時の攻撃でアメリカは第六艦隊の殆どを、EUも五割以上の艦隊を失ったと言われている。
この時の米英政府は、もう正気をなくしていたと言っていいだろう。密かに先行させていた潜水艦隊から、計三発の核弾頭ミサイルをポメール島に打ち込むことを許可したのだから・・・
命令通りに発射されたミサイルは、しかしフランス領内で爆発することはなかった。
ポメール島上空でレーダーから姿を消し、その数秒後にワシントンDCのホワイトハウス上空とイギリスのビックベン上空で計二発の核の炎が炸裂したのだ。
魔法による核ミサイルの転移。今では教科書にも乗っているような戦術の基礎だが、当時はもちろん人類が初めて目にした悲劇である。
残りの一発の行方については、不発弾だったという説から、もともと二発であり、三発というのは間違いだという説までいろいろ噂されているが、確かなことは未だに何も分かっていない。命令を出した両政府が建物ごと蒸発していたし、実行した潜水艦隊もヤードゥの手に落ちたのか事件後しばらくして消息不明になってしまったからだ。
この後のアメリカとヨーロッパの状態は、もう狂乱という言葉でも言い尽くせないほどに混迷を極めた。
結果として、アメリカは魔法文明を絶対に認めない東アメリカと、魔法を取り入れて国力を増強すべしという西アメリカに分裂し、英米の政治的空白期を狙うようにヤードゥは勢力圏を伸ばした。
今ではフランス・スペイン・ポルトガルと、地中海を挟んでアフリカ大陸の大半が彼らの支配下にある。
すべての魔法文明撲滅を掲げる東アメリカとヤマトリアルの間には、当然国交なんてものは存在しない。マイケルが亡命者であるというのも、仕方がないことなのである。