第七十八話 話で恐怖心を紛らわす
「──なんかもう、無理ゲーな気がしてきた」
特徴的な獣耳をダラリと垂らし、少年は呟く。諦めしかないと肩を落とす彼の視線の先には、人っ子一人いない街が、存在していた。
聖地、カルナーダ。来た時は異形の者やその他諸々で溢れかえっていたこの街は、なぜか今現在は虚しい程の静寂に満ちていた。日が落ちたせいか、薄暗い街中は、昼間とは違いなんとなくだが恐ろしい。
光を灯していた街頭は青く輝き、時節信号機のように、黄色や赤といった警戒色に変化。美しく咲き誇っていた花壇の花たちは、隠れるように柔らかそうな土の中に埋まっている。
無機物や植物に、まるで意思があるようだと思ったのは、さて自分だけだろうか……。
「聖地のくせになんでこんなちょい怖空気醸し出してんですか。俺ホラー無理だって言ってんでしょーが。やめてよ。ほんと無理だから」
誰に言うでもなく早口で紡ぎ、ジルはアドレンの背に隠れた。もう見慣れてしまった黒が、視界を満たすことで安堵する。
とりあえず、目の前に人がいるという、その事実だけで心が安らぐような気がした。
「……てかさぁ、ほんとに主様いんのかな? やっけに静かですけど」
目に見える、明かりすら灯らぬ家屋。街人の気配すら感じられないというのに、本当に主様はこの街中にいらっしゃるのだろうか。もしかすると聖地から出ちゃったりするんじゃなかろうか。
思考する少年に、答えを与えるかの如くミーリャが告げる。
「いるのよ」
ハッキリと、彼女は言った。
「街の中にいる。間違いないのね。それに、言うほど離れてもいないと思うのよ」
「ふーん。なんでわかんの?」
「殺気」
「はえ?」
間の抜けた声を発す。
そこでようやく、彼は気づいた。皆の様子がおかしいことに……。
よく見てみれば、ジル以外のメンバーの顔色は、非常に、とまでは言わないが、そこそこに悪かった。冷や汗をかき、眉間にしわを寄せ、警戒するように辺りに視線を配っている。先程から無口だなとは思っていたが、まさか殺気に当てられていたとは……。
「……ポチ、置いてきて正解だったかもな」
思い出すのは愛しいドラゴン。ポチの姿。
「危険ですので留守番させることをオススメします」というラディルの言葉に従い置いていくことにしたのだが、いやはや、あの行動は正解だったらしい。
良かった良かった、と頷き、ジルは一度沈黙。少ししてダラダラと多量の汗を顔に浮かべた。
「え、てか待ってそれ、やばいパティーンじゃねーの……?」
誰に聞くでもなく問いかける。
返ってきたのは無言だ。人数はいるというのに、ものの見事に誰も口を開こうとしない。
ジルは忽ち、この場から逃げ去りたい衝動に駆られた。が、なんとか堪えて、アドレンの服にしがみつくだけに留めておく。気づかなかったらなんともないが、気づいてしまっては恐怖心が勝るというもの。こうでもしないと先に進むなど困難だ。
震える少年をあやす様に、小さなその頭をアドレンの片手が撫で回す。その優しさがあったかい。ジルはほろりと涙をこぼした。
「と、とりあえず、雑魚は黙りますね」
宣言し、キュッと口を噤む。これでやかましい声がなくなるのだが、それは困るといった様子で、全員が全員、黙りこくったジルに声をかけた。
「ジル。口を閉ざさないでくれたら有難い」
「喋り続けてろ、ボス」
「ジル様のお話、聞いていたいわ」
「しゃべり続けることが今回のお前の仕事なのね、ジル」
「いきなりどったの」
わけがわからないと眉を顰める。どうにも、今現在の皆の様子はおかしい気がした。
「なんか怖いんですけど……え、なに、まさか皆して俺をはめようとかそういう作戦? 1人だけ喋り続けろとか鬼畜かよ。むりむり」
「……正直に言うと、気分を紛らわせたくてね、少し。このままだと、恐ろしさに負けて舌を噛みちぎってしまいそうだ」
「わー! ジルさん独り言大好き! 年がら年中お家にこもってベッドの中にもぐり込み鍛え上げてきた一人話術が試される時ね! いやんダーリン!」
息つく間もなく早口に吐き捨て、それを皮切りにジルのくだらない独り言が開始される。
先日黒光りするあいつを見た。風呂場で盛大に転んだ。二ルディーに追われる夢を見た。手には呪いの藁人形らしきものが握られていた。ベナンは苦労している。などなど。
本当にくだらない、と思う話だが、そのくだらない話がこの場の空気を若干柔らかなものに変えたのもまた事実。
これも一種の才能というやつだろうかと、博識の少女は必死に口を動かし続ける少年を一瞥。小さく笑い、視線をそらした。
ジルの声をBGMに、主様捜索は続けられる。
次第に入り組んだ道に踏み込んでいく面々を追いながら、ジルは悩ましげに眉尻を下げた。
屋敷から出て、既に30分は経過していた。だというのに主様たる少女の姿はどこにも見当たらない。ミーリャがいるというのだからいるのだろうが、他者の気配にそこまで敏感でない雑魚にとっては、そろそろ姿を確認したい、というのが本音だ。
なにより、休むことなく喋り続けた結果、話題が尽きてきた。ミスター厨二病男子、葛本の話でなんとか場を繋いできたが、そろそろ話のネタがなくなりそうである。
──ありがとう葛本。お前はよくやったよ……。
謎の感謝を心の中で告げたと同時、先頭を歩いていたオルラッドが足を止める。彼はそのまま、背後にいる皆に片手で止まれと合図し、ゆっくりと壁際へ。冷えたそこに体を寄せながら、覗き込むように前方を見据えた。
「──……いた」
なにが、など、聞かなくともわかった。
一気に緊張した空気に、耐え切れずにジルの腰が軽く曲がる。それを見たアドレンは、すかさず己の背後にいるジルを小脇に抱え上げた。いざという時にすぐ逃げられるよう、彼なりに配慮した結果の行動だろう。それを知ってか、ジルも特に文句を言うことなく、大人しく抱えられている。
「……ひどい惨状なのね。食事マナーというのを知らないのかしら?」
「この状況でマナーがあったら、逆に恐ろしいな」
叩かれる軽口。一見余裕に思えるミーリャとオルラッドだが、その表情はひどく険しく、足が微かにだが震えている。それほどひどい惨状を目の当たりにしているのかと、少年がぼんやり思考した時だ──。
「──こんばんわ。素敵な夜でございますね」
ねっとりと、撫でるような声が響いた。かと思えば、目の前には見知らぬ誰か。クセの強い黒髪をそのままに、垂れた金色の瞳を闇夜に輝かせるその男は、ゆっくりと、硬直したジルの頭を撫でやる。
奇妙な程に冷たい体温。まるで死人と接しているようだ。考える少年を褒めるように、男は告げる。
「今宵は良い。とても良い夜です。なので共に、ええ、共にゆこうではありませんか」
笑い、嗤って、わらう。
そうして男は、その手に何かを持った。
夜空に浮かぶ月の光を受けて反射するそれは、ナイフのようだった。刃は手入れされているのかとても綺麗で、錆などは見当たらない。安全加工された持ち手の部分には独特な模様が刻まれており、その模様はどこか、宗教地味ている気がした。
男が己の喉元にナイフを宛てがう。突然のことに反応が遅れた面々が、ようやく動き出したのを合図に、彼は宛てがったナイフを深く、深く、挿し込んだ。そうして肌を裂き、肉を断ち、赤い血しぶきをあげながら、彼は声高らかに叫ぶ。
「ああ、あア! 素晴らしき、実に素晴らしき終焉! 美しき闇夜に、大輪の花を咲かせ、私は! 私たちは!あなたは! 逝くのですっ! 死の待つ! その先へ――さあッ!!」
ガクンッ、と、急に視界が傾いた。かと思えば、妙な息苦しさがジルを襲う。喉から何かがせり上がってくるような、気持ちの悪い感触と共に。
「共に死んでくださいませ、異物よ」
──ごぽり。
耐え切れずに吐き出した、大量の何か。それが裂けた己の首からせり上がってきた血液だと認識する前に、ジルの意識は、闇の中へと落ちていった。




